【Twitter】居場所の模索2023:アカウント移行/増設/試行
2023年3月~4月にかけてひっそりとやっていたアカウント移行/増設/試行について、ようやく方向性が定まってきたというのもあり、また、あまりに閉鎖的にやりすぎて、交流してくださった方々に不誠実だったという罪悪感もあり、(どれだけアカウントを変えてもここだけは残すであろうという)はてブロでもその過程を報告しておきたくて、その後の経過も含め残しておこうと思う。
たかがツイッターのアカウントに時間を割きすぎのご指摘はごもっともなのだけど、されどツイッター、自己表現のための居場所の確保がわたしにとっては急務だったのは確かだし、実際やり終えてみて、面白い試みだったな… と思ったので、恥ずかしげもなく公開してみる。
1. 経緯
- 現行「くま」のアカウントについて
ツイッターを情報収集や備忘録の場としてではなく、同じ趣味をもつ人たちとかかわる交流の場として公開アカウントを持ち始めたのがTHE BOYZのオタクをやっていたときの2018年1月、それから5年と半年ほど過ぎた今日までの間で、本当にたくさんのアカウントを捨てては作り捨てては作りを繰り返し(恥ずかしい)、2020年にGoldenChildやK-バンドに浸かるために作った現在の「くま」のアカウントがいつの間にかとりあえずの定住位置となった。
あらゆることに対して強迫観念が強く、こうしなければ、ああしなければという考えに縛られて、自己嫌悪に陥っては(沼を移るタイミングで)過去を消して新しい気持ちで居場所を作ろうとしていたわたしが、「くま」として出会った人たちの影響によって、自他肯定を重んじるようになり、また、ツイートへのかかわり方もよりラフで自然体になっていったように思う。「くま」であった時間は、わたしがオタクとして、また人として大きく成長した時間と重なっている。かなり思い入れのあるアカウントなので、今後も削除する予定はないが、そもそもフォロワーが多い状態というのが今の自分に合ってないなと(本当に今更)窮屈に思い始め、アカウント整理を考える。
- 無意識中の人格分化の流れに気が付く
2022年9月、Tabberの新曲「007」を聞く。初聴でドカンと大きい衝撃を受け、わたしの中にある複数の興奮ポイントに同時にドン刺さりしている感じ、に辛抱たまらずキャパオーバーになる。当時わたしは動かしているアカウントが幾つかあって、それぞれ呟きのジャンルや扱う内容を分けていたのだけど、わたしという一人の人間の中に確かに存在する、複数(の人格)の種類の興奮が混ざり合って、また別の興奮を作り上げていて、お手上げになってしまった。その体験によって、人格の分化、というとそれこそ大袈裟にもほどがあるけど、幾つかジャンル別に分けているアカウントで、脳の使い方やそれによる振る舞いが無意識的に切り替わっている、ということに気が付く。
普段アカウントを分ける手続きをとることで、幾つかの絶頂のポイントが人格として「完全に分けられている」んだよな… それがあるきっかけによってひとつの自己として表れるときに、ただ音を反芻するよりも、もっと高次的なところで音を聴くことになり、溺れそうになる。(2022‐09‐22 ツイート)
音楽を、ただ聴くときに得る感動と、また全く別の次元の興奮が重なって、何層かの熱量と欲望が混ざり合って多重に体内へ注がれるとき、おれは本当にどうしようもなく狂ってしまい、今がそれです。(2022‐09‐22 ツイート)
単にジャンルによって分けていたはずのアカウントが、TLのメンバーや流れてくる情報に左右されて、呟くときの表現の基準(どこを見せて・どこを隠す)や言葉遣いまで結果的に変わってしまっている、の気づきが面白くて、その日一日脳内で反芻し、現状の幾つかのアカウントを「わたし」の位置座標上に整理した。
そもそもISFPなので、内向・外向のスイッチングはかなり頻繁にやっていて、それをツイッター上でも、より細かい分類(※無意識)でやってしまっている自分にようやく気が付く。無意識の人格分化を座標上で整理してみたときに、もう少し伸ばしたいジャンルや作り直したいアカウントがあったりして、今現状の区分では窮屈に感じることもあり、アカウントを整理することを決意する。
2. 報告概要(移行/増設)
- 2022年3月:現状報告 [ 00 : image ]
以下、実際に報告したツイート(原文ママ)、これまでメインで使っていたアカウント「くま」「波涛」以外の既存アカウント2つ+新規アカウント2つのイメージと方向性、アカウントID等の報告。
現段階で考えている/試行できそうな今後のアカウント形態のイメージです。既存のものも含んでいますが、ジャンル毎に分けていたはずの幾つかのアカウント及びツイートの性質が混じり合いつつある今の実情に合わせて配置しています。
- 2022年4月:中間報告 [ 01 : concept ] [ 02 : concept ]
アカウント移行/増設時の大まかな方向性のまとめ。きっかけとかジャンルとか、メインアカウント「くま」「波涛」と比べての位置づけとか。
試行アカウントA:人生哲学・デザイン・MBTI
既存アカウントB:関係性・価値観・RPS
既存アカウントC:アイドル・倫理・美学
試行アカウントD:楽器奏者・音楽・インディ
- 2022年4月:最終報告 [ 03 : image + name ]
※自由にフォローしてください
※フォローを義務付けるものではありません
※一度フォローしても違うな~と思ったら何度でも外してもらって構いません
※フォロバする場合がありますが容赦なく弾いてくださっても構いません
※フォローに際するアカウントの条件等はなく、呼び方に関しても制限はありません
3. 試行~今後について
- 現状について
4月に大まかな方向性を決めてから試行し始めたものの、①4~5月にかけて多忙を極めており、多くなりすぎてしまった(本当に多い)アカウントを使い分けるほどの余裕がなかった、②フォロワーが少ないことによって「外側」で呟く必要性がなくなり(※環境に左右されすぎている)、計画当初9月に想定していたほどアカウント毎の人格差が無くなってきた 等あったものの、6月に入って少しずつ動かしてみながら、ようやく居場所として使っていけそうだな、の確信を得た。
実際の使い方としては方向性から大きく外れず、大枠で、Aは思考の流れ、BはRPS、Cはアイドル、Dは音楽、についてそれぞれ呟きながら使い分けられそう。増設した試行アカウントの2つについては、呟きの温度感が当初予定より少し変わっていて、Aはもう少し外向(発信/出力)寄り、Dはもう少し内向(独り言)寄りになってきている感じがする。もう少し長く使ってみないとわからない。Aはリツイート多め、Dは動画リンク共有多め。
- 旧メイン「くま」「波涛」について
概要報告ツイートでは保留にしていた「くま」「波涛」については、今後も変わらず使っていくことにする。「波涛」はこれまでとアカウントはそのままに、日常や日々の思い付き等のかなり個人的な呟きをする場所として使っていく予定。「くま」については今後使う予定はなかったものの、「くま」で得たジャンルごちゃ混ぜの自由な雰囲気を完全に失くしてしまうのが惜しくなったので、以前イラストを中心に投稿していたサブアカウント(@xcarobear)に移行して、今後も気軽に使えるメインアカウントして置いておくことにする。
以上。今後もツイッターには沢山お世話になる予定なので、また自分とのズレを感じ次第増やしたり減らしたりはあると思うが、ツイッターを通して出会った縁を大切にしたい、の流れがわたしの中で生まれつつあるのもあり、しばらくはこのまま使っていけたらいいなと今のところは思っている。動かす公開アカウントが6つになってしまったので(流石に多い)、全部に同じ熱量で費やすつもりは毛頭なくて、気分にあったジャンルと環境をその都度選びながら、例えば一つのアカウントで安心して呟けなくなった場合に、自分が逃げこめる場所が増えた、くらいの感覚でゆるく向き合っていこうと思っている。良い歳なのに匿名のネット上ですら落ち着きがなくて、忙しく行き来することになるけど、今後ともどうぞ温かく見守ってください。
心の赴くままに。2023、模索の記録。終
【OnlyOneOf】Oの始まる場所:undergrOund idOl 総括
考えを文章に書き起こすのが苦手で、また批判や攻撃を恐れて、何かを見聞きして受ける印象から、世間一般に共通しうるであろうものだけを拾って、極めて表面的にのみ表現する、そうやって満足していたオタク人生が、大きく変わったのが、2022年だったなと思う。より個人的で、とりとめのない感想、偶然による一時的な気づき/ひらめきを大切にし、何よりも優先して「今思ったこと」に誠実に、考えを深めてゆくことで、わたしがわたしなりの表現であらゆるものに接近する、方法をなんとなく見つける癖がついた。
2022年、様々にあった出会いの中で、それだけ時間を費やしたために、わたしの中で一番大きく残っている、OnlyOneOfのソロシリーズ「undergrOund idOl」との出会い。OnlyOneOfと出会ってゆく中で、自分の中にぼんやりと浮かぶ感覚と意識的にかかわりながら、その予感をより現実に即した言葉に落とし込む方法を模索する一方で、自分の嗜好や性癖についても探ったりした。人間が日々成長していく中で、知識量や環境によって、その都度感じること考えることというのは変わって当然である、という、自分に対する一種の許しの中で、自由にあれこれと考えたり感じたりした、行き場のない感覚と思考の流れを、ツイッターの複数のアカウントで書き残したもののまとめとして、ここに綴っておきたい。
目次
- undergrOund 01 [ begin ]
- ユジョンさんの演技がすごい話
- 「自由」に駆られるユジョンさんが魅力的すぎる
- undergrOund 02 [ be free ]
- ギュビンさんがあまりにも自由すぎる件について
- ユニット:ギュビン×ユジョンに関して
- undergrOund 03 [ be mine ]
- 「対象」として描かれるリエさん
- ようやくart pOp remixが見えてくる
- undergrOund 04 [ because ]
- おしまい
- be mineとbecauseの描くところ:愛の形態、行き先
- undergrOund 05 [ beat ]
- blOOmとbeat:強烈な「生」の実感
- 役者としての彼らに関して:ENFJと演劇性
- undergrOund 06 [ beyOnd ]
- beyOnd:Oの始まる場所
- 痛みと夢の共有:僕と同じ夢を見ていて
- 懺悔:ナインくんという人について
- undergrOund OOO [ seOul cOllectiOn ] 映画CMBYNの視聴を経て【追記3/4】
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undergrOund 01 [ begin ]
undergrOund 01 [ begin ] ┃ 祝福を受けられない恋人たちへ
ユジョンさんの演技がすごい話
沼落ちの瞬間というのは人それぞれあって、わたしの場合はそれが、偶然ツイッターTLで出会った「begin」でのユジョンさんを知ったときだったので(当時のTLに感謝)、今のわたしにとってもかなり大切な一曲として残っている「begin」、ユジョンさんのMV中での振る舞いが、恋に煩う仕草が、熱を帯びた目線が、これまで何度か見かけた時よりずっと、特別に魅力的に見えて、これまでスルーしていたオンリーワンオブに本気で向き合わなくては… の思考に初めて(本当にようやく)辿り着くことになった。
「begin」MV内でのユジョンさんは、徹底的に暗い。恋の始まりを描いているのに、ギュビンさんを追うその目は、恋に対する純粋なときめきよりも、もっと否定的で、焦りや戸惑い、不安、自責、後悔、様々に混じりあった複雑な感情に満ちている。概要欄にあるように、これが「祝福を受けられない」始まってはならない恋だと知っているからである。
目が合って惹かれ合うふたり、自分の中に(内面的な話だけでなくもはや物理的にも)飛び込んでくるギュビンさんに、もしくは、彼に惹かれてしまっている自分に、戸惑いつつ否定しようとする。(MV中のギュビンさんについては後述するとして)それでも、ギュビンさんによって、始まってしまう恋、もう走り出したレールの上を、不安に掻き乱されたまま、このまま進んではならないと自分を抑えつけながら、またひとつ諦めてゆく。「begin」での始まりは、理性と感情の狭間で揺れ動きながら、自分を殺して生きるユジョンさんの諦めと、開き始めた未来への仄かな期待によって幕を閉じる。ひとり閉じ込められた小さな箱の中から、いつか自由に羽ばたくことができる日を信じて。
세상에 수많은 연인 가운데 축복받지 못한 연인들도 존재합니다. 어떤 이유로든. 종교적인 이유, 부모님의 반대 같은 것들. 그 모든 축복받지 못한 연인들에게 이 곡을 바칩니다. - 世界中、数多の恋人たちの中、様々な理由で祝福を受けられない恋人たちもまた存在する。宗教的理由で、また両親の反対でといった具合に。そのすべての祝福されない恋人たちに向けてこの曲を捧げたい。(「begin」MV概要欄コメント)
ユジョンさんの細かな表情演技によって行間を読み取って初めて、概要欄の意味がわかる仕組みになっていて、巧い
《余談》わたしのOnlyOneOfへの沼落ちは、beginであったからこそと思いつつ、一方で今思えば見落としていた過去のユジョンさんの素敵さも、リリース当時は拾えなくて、沼落ちは本当にただ運とタイミングだな~と最近よく思う。接したときの自分の状況によって、本当の意味で「出会い」に至らないこともある。わたし自身の内向的な性格も禍して、オタクをしながら年々「出会い」に至る確率がどんどん落ちている気がしていて悲しい。何か新しいことを知るにはそれ相応の体力が必要である。
「自由」に駆られるユジョンさんが魅力的すぎる
ユジョンさんを少しの間見てきて思うこととして、「自由」というワードが似合いすぎる、というのが(とても勝手に)あったりする。もちろん自分勝手で傲慢で協調性がない… といった意味ではなく、性格よりもむしろ、彼自身の生まれ持った属性というか、うまく言えないのだけど、体格や顔つき、声、それらの「器」と、そこから生み出される全ての「パフォーマンス」に対して、自由さを感じる(おそらく外見から受ける印象の話)(全部ヌッキムの話やめて)。演技をしている時の彼は勿論のこと、踊っている時の姿が特段魅力的に見えて、機会あってわたしが10月に直接彼らの舞台上での姿を見たときに、手足いっぱいに踊る彼の踊りが、あまりにも「自由」「開放」すぎて泣いてしまった(重症)、記憶が今でも脳に染み付いて強く残っている。
▼ユジョンさん振り付けによる「きらり」間奏部みてほしい
韓国語詞入れて振りをつけている間奏部が本当に好きで………… 舞台上で人に見られることを意識して作られた振りではなく、ただ彼らが感じとったものを表現する踊りを見せてもらえることのしあわせ…pic.twitter.com/lDGf4fkOTh
— くま (@not_kuruma_) 2022年9月6日
余談ですが、わたし(ISFP)が大切にしている価値観としてかなり上位にくるのが「自由」という言葉だったりして、「自由」という言葉自体に対するときめきがかなり強くあるのだけど、同じようにISFP性向を持つ人(及び心理機能Se保持者)の多くは共感するんじゃないだろうか。(最近になってISFPを自称している)ユジョンさんが実際のところどう考えているかは知りようがないにしても、「自由」という言葉が特段に似合う人であって、それによって更に魅力的に見えている人だな、と勝手に思ったりするし、だからこそ「begin」MV内で絶望しながらも頻りに自由を渇望するユジョンさんの役が、わたしの中でしっくりと結びつくから、公開から半年以上経っても、未だにこのMVが好きなのかもしれない。
angelとblOssOmを踊るユジョンさんがとても好き。ダンスと恋に落ちた人の踊りだなと思う。着飾りすぎない楽な服装で軽く踊ってみせるユジョンさんが好き。ライブで見たAttentionのカバーも異様なほど良かった。ユジョンさんがNewJeansでカムバしてほしい。
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undergrOund 02 [ be free ]
undergrOund 02 [ be free ] ┃ 君の目の中に僕が映るとき
상처 받을까봐 고백하지 못하고 망설였던 순간들. 상처 받더라도 말하자. 깨지고 아픔이 있더라도 부딪쳐보자. 우리. - 傷つくのが怖くて思いを伝えられず躊躇していた瞬間たち。たとえ傷ついたとしても、当たって砕けた傷が痛かったとしてもぶつかってみよう。僕たち。(「be free」MV概要欄コメント)
ギュビンさんがあまりにも自由すぎる件について
なんだか、「begin」で思っていたよりもずっと、ふたりの始まり方に説得力があって、しかもギュビンさんの描かれ方がかなりリアルに見えている感じも、ユジョンさんを手に入れるまでの、意図的に段階を踏んだ狡猾さも、生々しく迫ってくる感じがあり、くらくらしてしまう。「begin」から「be free」の流れにおいて、始め方がわからないユジョンさんを自由へと導く存在がギュビンさんであるのだと思うけど、ユジョンさんの物語の暗さを知っているために、ギュビンさんのあまりの奔放さに面食らう。
ちなみにわたしは ナインくんの解釈したbe free の方が好きだったりした。ナインくん(の曲であったとしたらもはや「be free」ではないのかもしれない)によるより純真な聞こえの「be free」、ナインくんが歌うことによって眼差す側とその対象がより明確に見えてくる感じがして面白い
ユニット:ギュビン×ユジョンに関して
実写BLに対して常に思っているのが「説得されたい」のオタクなので、関係性をどう作りこんでくるかを楽しみにBLを見ていたりするのだけど、映像内のギュビン×ユジョンに関しては、というか、これはオンリーワンオブのユニット全体に思っていることだけど、とてもよく組まれた組み合わせに、本人たちのカラーが結果的に助ける形になっていて、アイドルがチームのままBLをやるということは、こういうことなんだな… と思った、わたし(含む多くのやおい人)の中で決して相容れない、二次創作的な関係性の捉え方(RPS)と、BLドラマ的な要素が、別々に存在したまま意識内で互いに相関していく感じがあって、面白い。
《余談》当時はTi-FeとFi-Teの線で話しているけど、オンオブのカップリングに関してかなり雑に言うと「軸の強い人」と「軸の弱い人」がそれぞれ噛み合う形でうまく支え合っている、感じがする(ギュビン-ユジョン/ジュンジ-リエ/ミル-ナイン)。これはキャラ消費のための「側」(見てくれ)の話ですが、ギュビンさんはとても面白い人だけど、ただ単にサービス精神のみで動けるような優しさを感じなくて、きっととても冷たい目をしてる時があって、脳の深い所で、論理が身体を突き動かしているから、いざという時、他人を捨てることに対して、何の問題もないんだろうなとさえ思ったりする(あくまでそう見えるというだけのキャラクター属性の話、実際の本人とは関わりがありません)。
アイドルがBLをやるということに関して、わたし自身少なからず違和感があったので、自分の中で納得いく形に落とし込めるまで、去年下半期まるまるかけて、嫌というほど考えたけど、彼らがどう割り切ってBLをやるか、ということは(考えたけどオタクが考えてわかるものでもないので)今一旦置いておいて、オタクによって様々な受け取られ方をされていることについて、アイドルというジャンルでこれをやることの厳しさを感じつつも、単純に、まだ誰もやってこなかった新しさに対するときめきと期待と、それによって生まれるあれこれの効果が新鮮に感じられて、どちらかというと今は面白がらせてもらっている。セックス示唆はどうかと思ってしまうけど…
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undergrOund 03 [ be mine ]
undergrOund 03 [ be mine ] ┃ 僕の好きなように君を作り出しても
내 감정을 자꾸 가라앉히려 해도 점점 수면 위로 떠올라. 감정의 대류 현상. Can I ruin you? 널 망쳐도 돼? 내 손 가는 대로 할래 - 沈めようとしてもしきりに少しずつ水面へと上がってゆく僕の感情。まるで対流現象のように。君をめちゃくちゃに壊してもいいかな。僕の手が赴くままに。(「be mine」MV/Teaser概要欄コメント)
「対象」として描かれるリエさん
MVリアクションにおいて明かされた話、MV中カフェで一目惚れをしてしまったジュンジが、店から出てゆくリエさんの後を追って叫んだ「僕たちまた会えるでしょうか?」の台詞、用意されていたリエさんの返しは「(微笑しながら耳元で)また会おうね」だったらしい。おしまいすぎ… 知識/経験として誰の辞書にもある「年上の悪い恋人との危ない初恋」すぎる… そもそもの話、一般人学生であったリエさんに、日本で女性名として使われる「リエ」という名前を付けている時点でお察しなのだけど、楽園savannaでの「一緒に穢れて思う存分酔いしれても良い」を経てsageでの「罪を赦してどうか僕を救って」のようなリエさんのパートやら、これまでなんとなくの予感としてあった、チームにおけるリエさんの役割と、制作側がリエさんに投影する癖が、今回ようやく分かりやすく浮き彫りになっていてあまりにもおしまい(ここまで一息)。撮る側も観る側も(もしかすると演る側も)、リエという人物に幻想を見ている。
アイドルグループにおける映像作品は、職業俳優の演じるそれと違って、アイドルという前提ありきのものであるから、当然描かれるものも、ストーリー背景より個々のアイドルのキャラクター性を魅力的に描くことに焦点を当てたものになる(だからこそ、アイドルがBLをやることの危うさと、同時に面白さがある)。そしてその本質は、彼らの生まれ持った容姿/性向を活かしつつより拡張して魅力的に見せる作業にあり、オンリーワンオブもその例に洩れない。
それを踏まえて、リエさんがsavannaから続く善悪シリーズ等で題材の核となるパートを担っていたり、「undergrOund idOl」にて本人の表向きの性格とはかけ離れた役柄を充てられていたりするのは、リエさん自身の立ち位置や容姿(前述したところの「器」)が作用しているのは勿論(器自体がオンオブの目指すカラーと合っている)、そもそもリエさん自体味付けがされやすい人だったりする(※主観)のも関係があるかもしれないなと思ったりする。ダンスパフォーマンスに関してアイドルオタクが「憑依型」と形容したりするように、運営の想定に対するリエさんの再現度の高さが評価されている。充てられた役に模倣/擬態/没入/化身してゆく手続きの流れを上手くできるタイプの人(演技の上手下手とはまた別軸の話)、そもそも、リエさんの人格がリエさんの中でかなり自然に分化していて、本人がそうあることに全く不都合がなく、脳内である程度整理がついているというのは、リエさんがISFPであることも少なからず影響しているような気もする。ジュンジの話しなよ…
リエさんとはまた別のアプローチでオンオブのカラー構築に貢献していたラブさん… 元気であってほしい
ようやくart pOp remixが見えてくる
収録曲としてユジョンさんの「begin」から一曲ずつ公開されていた既存曲の「art pOp remix」にシリーズ3作目にしてようやく目が向き始める。正直に言うと全然真面目に聞いてなかったので「be mine」収録のremix版cOyを聴いてかなり衝撃を受ける。
▼「궁금해 너의 cottage」で鳴るギター音が好き
cOyはそもそもジュンジ・リエのふたりがユニットとして作詞作曲に携わっている曲で、原曲のギターサウンド自体もジュンジ(だけかどうか知らない)考案のものだという話がビハインドで語られている。普通、Remixというと、原曲で録音された音声トラックを調整したり新たに音を加えたりすること、だと理解していたのだけど、art pOp remixでは音部分の編集はもちろんボーカル部分を録音し直していて、歌い回しまで細かく変化していたりする。
OnlyOneOfというチームに関して、今わたしがとてもありがたいと思うことのひとつとして、メンバーと曲との間の距離感が、かなり自然なところにある、というのがある。音楽PDとの距離が近くて、ほぼ並列のパワーバランスで作詞作曲に関わっていたり、同じように振り付けに関わっていたりする。何よりそれが話題性のためでなく、曲を売るためでもない、限りなく無理のない形で、メンバーが表現に携わっている気がして、それがかなり嬉しい。一度録音した後に時を経て再び同じ歌を録音する行為、その歌を歌い重ねながら感じたこと、変わっていったそれぞれの歌への考え想い感性等を籠めた自解釈(※かどうかは知らない)を記録し残す機会を設けること、音楽と、それを歌う人たちに対して、あまりにも誠実でちょっと泣いてしまう。
そもそもわたしはオンオブにおけるart pOpの具体的な実像をなんとなくでしか理解していないので、今後もう少し深めていきたいなと思ってはいます… (art pOpをOnlyOneOfの音楽全曲に共通する概念だと思っていたのだけど、この記事を書くにあたって一つずつ曲紹介を読むうちに、もっと明確な定義のあるものかもしれないと気づいた、はっきりと記載のあるpicassO/designer/byredOあたりを中心に帰納的に見ていくとそれらに共通する粒立った音遣いが見えてくる感じもあり……)
あと全然書かなかかったけどジュンジ先生歌唱が相当好…… 声の線というか輪郭がすごいあの… 綺麗で……
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undergrOund 04 [ because ]
undergrOund 04 [ because ] ┃ 君が僕に、僕が君になれたなら
おしまい
おしまいすぎてツイートが殆ど残っていないため当時の感想を思い出せない。同シリーズの中では現時点で一番再生回数が伸びきっていないのに、一番しっかり画で殴ってくるので未だに直視できない。内容としては別れを描いているのに歌詞ではふたりの永遠を願っていて軽率に大泣きの人になってしまう。この後の「beat」もですが、MVと歌詞の間に距離のある曲が好きで、幅があればあるほど曲が立体的に見えて、その距離の深みに思いを馳せる時間が、結構気に入っている(So!YoON!先輩の「Wings」も同じ理由で好き)。
劇中リエとアイドルリエがぐちゃぐちゃになってしまいこれ以上何も言うまい…………… になる。今やリエ×ジュンジ(順不同!)のカップリングが最愛のオタク、because及びリエジュンジをきちんと消化するまで約2か月かかっているのだけど、未だにMVビハインド(MVは再生回数少ないのにビハインドは一番見られている)を見返しながら新鮮に狂って画面を壊したりする。リエジュンジに限らず他のユニットに関しても、劇中での姿と絶妙に遠く、また絶妙に近いせいで、それらを結びつけてアイドル人格にないものを見ようとしたりするので良くない、それぞれのキャラクターが、彼らのアイドル人格の延長にありそうで無い、この曖昧な感じにくらくらする。アイドルの内面の部分を描いた「undergrOund idOl」、アイドルの「陽」と「陰」、別軸に生きるもうひとりの自分……
be mineとbecauseの描くところ:愛の形態、行き先
電話ボックスと同じく「undergrOund idOl」に共通して登場するアトリビュート(#5#6では登場せず)として、折り鶴がある。
(左:begin/be free 右:be mine/because)
韓国では恋人に愛の深さを示すために使われるものだったり、MV中に頻繁に彼らが二羽の鶴を眺めていたりするので、「undergrOund idOl」シリーズでの折り鶴は恋人を象徴する意味で捉えられるかもしれない。翼を持って自由に飛び立てる(資格のある)鶴は、「begin」において電話ボックスに閉じ籠りながら自由を渇望するユジョンさんと対称的に見えたりもする。
「undergrOund idOl」に対して、体感で言うと(適切な表現が見つからないので便宜上)劇場版オンリーワンオブの1期、2期、3期、と続いていく構成的な「層」を感じる。「begin」のユジョンさんが大切に織った色のない一羽の鶴が、ギュビンさんと出会って二羽になり、「be mine」「because」では色とりどり数えきれないほどまでなっていて、これらを自由を願う恋人たちと重ねて考えたときに、段階的な時間の層が見えてきて泣いてしまう。ユジョンギュビンの前提があるからリエジュンジの物語があり、その他無数の恋人たちの物語があり、地道に積み重ねてゆくことでしか変わっていかない「当たり前」を書き換える第一歩が、時間の層によって、少しずつでも変化してゆく、これからの可能性を描いてくれている。
《余談》#1#2のギュビンユジョンが#3#4で登場するように、#5#6でもメンバーが出演しているのだけど、そのほとんどにおいて、脇役に徹しているというか、徹底して描かれるふたりの「背景」になることによって、世界軸がはっきりと分離されて、それぞれの物語には関連がないことが示されているような気がして、この点でも時間の層を感じたりする。
사랑은 꼭 하나의 형태가 아니라고 믿습니다. 부모님과 우리가 느끼는 감정. 우리가 고양이나 강아지에게 느끼는 감정. 또 세상에 수많은 감정과 상처. 사랑은 꼭 하나의 형태가 아니라고 믿습니다. - 愛は、必ずしも一つの形態であるわけではないと信じます。両親と僕たちが感じているその感情。また、僕たちが猫や犬に対して抱く感情。そして世界に多く存在する感情とそれによって生じる傷。愛は、いつも一つの形態に留まるわけではないと信じています。(「because」MV概要欄コメント)
「I don't believe there needs to be just one form of love」、「信じています」が優しくて泣いてしまう。beginからの流れがあり、その様々な形態によって否定されてきたあらゆる愛の歴史を無視することなく汲みつつやさしい確信で肯定的に寄り添ってくれる、薄っぺらい共感と断定よりも、より個人的でちっぽけで不確定な、確信と願いによってのみ、救われる場合もある。 暗さを、暗いまま映し出すやさしさがあって、人によっては、むしろその方が救われる場合もある。
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undergrOund 05 [ beat ]
undergrOund 05 [ beat ] ┃ 君を見たその瞬間に感じた
blOOmとbeat:強烈な「生」の実感
심장이 뛰고 있는데 우린 그걸 잘 인식하지는 못해. 아주 가끔 손을 대보면 느껴지긴 해도. 평소에 누가 심장 소리를 들으면서 살고 있겠어. 근데 너를 보던 순간 진짜 느껴졌어. - 心臓が跳ねているのを認識して生きたりはしない。気まぐれに胸に手を当てたときに実感する程度であって、誰も普段から自分の心臓の音を聞いてはいない。それなのに、君を見た瞬間本当に感じたんだ。(beat概要欄コメント)
5番目のミルくんソロの主題である「beat」=鼓動についてオンオブで過去に歌われたのがblOOmだったりする。
OnlyOneOfの既存曲blOOmは、人それぞれに存在する恋の始まりの瞬間を、誕生花が開花してゆく様子で表現した曲で、冒頭ナインくんによる歌い出し「네 귀에 들릴 것 같이 심장이 빨리 뛰었지 그때 / 君の耳に聞こえそうなほど心臓が速く波打ったんだ その時」の部分でbeatMVの内容と呼応する。図らずも(図ったかもしれない)その部分の詞を歌うのがナインくんなのも含めて、blOOmによって予告された物語が、結果として2年経って、beatで再び動き始めるような構造になっていてしびれる。
▼Samuel Seo先生プロデュースだったりする曲ことblOOm
art pOp remixを単なるリミックスとして通り過ぎてはいけないことにcOyでようやく気が付いたのだけど、「beat-blOOm」の繋がりに気が付きつつ、今回収録される既存曲6曲は、undergrOund idOlで描かれる主題との呼応の意味も含めた選曲だったのかもしれないと思い始めた。
そもそもOnlyOneOfの楽曲はこれまで「savanna - desert」「dOramarr - picassO」「angel - Off angel」等羅列すればきりがないほど、裏-表もしくは前-後の連続によって対になる形をとってきていて、別時期に公開された曲同士に仕掛けがあったりする(点→線→面の過程から曲を立体的に組み立てて物語を紡ぐ)。今回のbeatに関して、ストーリー的な部分で繋がりがあるのは勿論のこと、これは勘違いだと思うけど、ブリッジ部分に若干blOOmを彷彿とさせるフレーズがあるような気もするし、undergrOund idOlの主題と結びつくことによって、(新たにbeシリーズの意味が付与されて)OnlyOneOfの本筋とはまた別の流れが見えてくる感じもとても面白いな~と思う。
役者としての彼らに関して:ENFJと演劇性
先日のインタビューにて彼らが演技のレッスンを受けていると知る。そもそも「begin」ユジョンさんの目の演技で落ちているオタクだし、今後控えているBLドラマ出演の予定なんかもかなり気になっていて、役者としての彼らを見るのも「undergrOund idOl」の楽しみのうちのひとつであったりもした。
MVビハインドを見ながら、ENFJの性向を持つ人に生まれつき備わっている演技トーン/モードがあるのかもしれない、と思うなどした。OnlyOneOfで言うと、現時点ミルくんとジュンジがENFJの結果が出ているのだけど、becauseとbeatのMVビハインドでリエ/ナインがそれぞれジュンジ/ミルの演技を褒めていて、例えばナインくんが手こずっている台詞をミルくんが一瞬でこなしたりしていたり、それぞれパフォーマンスに徹して役に没入するに難くないところが、もしかすると性向による癖があるのかもしれないと思った。「トーン/モード」と言ったのは、単に演技の上手下手というより、演技をするにあたってのなにか型みたいなもの(声/表情の出し方)をバリエーションとして持っている、ように見えた。実際ジュンジ/ミルどちらも普段から大袈裟な演劇っぽい喋りをよくやる気がする(ちなみに着想は「今すぐ使える心理学」魔王先生の記事から)。
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undergrOund 06 [ beyOnd ]
undergrOund 06 [ beyOnd ] ┃ 僕と同じ夢を見ていて
beyOnd:Oの始まる場所
6月から始まったOnlyOneOfの「undergrOund idOl」シリーズが、翌年の1月、新たな年のはじまりとともに、「beyOnd」によって閉じられる。「be-」で統一された6つのタイトルの中、意味があるのかないのか、大文字Oが含まれるのは「beyOnd」だけだったりする。徹底してOの前提としての「be」であった彼らの物語、ここにきて大文字Oが登場するのは、「beyOnd」がbeとOの狭間に在って、Oである彼らに繋ぐ物語だからかもしれない。
曲調にもなんとなくOnlyOneOfらしさ(=もはやナインくんらしさでもある)があって、これまで「undergrOund idOl」で彼らが様々に未挑戦だったジャンルを消化してきたこと、そしてOの字を司る最終走者がナインくんの「beyOnd」であること、その構成の深みに浸かろうとしている。微睡みの中の軽快なビート音と、そこに乗るメロディのどこか救われない感じ。ナインくん自身ユラで温かさの演出のために歌唱法のディテールをかなり変えたと言っていた、確かに、温かさは感じるけれど、ナインくんが歌うからなのか、その中に危うさも感じるところが面白い。
痛みと夢の共有:僕と同じ夢を見ていて
ミルくんのソロで、「君がいるから僕が生きている」という、生の実感の話をしていて、この時点で君//僕の境界が薄くなっているのを、今回の傷を手当するシーン(痛みの共有)を経て、#5#6で描きたかった主題がここにあるのかもしれないと思った。励ますでも慰めるでも、はたまた怒るでも恨むでもなく、ただ寄り添うことで救いを与える、そういう愛の話。ナインくんは、ミルくんがされていたのと同じように、殴られて、蹴られて、傷を負って、そうやってはじめて境界が解けて、ふたりはひとつになる、君が僕になって、僕が君になる(becauseの歌詞はもちろん、そういえば本シリーズの番外コンテンツの題でありかつInsinct Part.1収録曲であるのは「너라고 불렀지만 사실은 나(君と呼んだけど実際には僕)」だったり… ヒュウ…)
それが本当に制作側が描きたかったかについては定かでないとしても、作り手の想定する愛、優しさの手段として、君//僕の境界を薄くすること、というのが、第一にあるのかもしれないなと思った、簡単に言ってしまうと「共感」「共有」、言い換えればそれは「君の名前で僕を呼んで」だし「君のおかげで僕は生きている」だし「同じ夢を見よう」になり、探せばもっとあるかもしれない。
リエちゃんソロ"because"の歌詞にも出てくる映画「Call Me By Your Name」は人はもともと一体であったというギリシャ神話に基づく説「人間球体説」がテーマになっていると言われていて、
— ℙ 𝓲 𝙠𝖆 𝐫ɨ°°° (@OooLuz) 2023年2月17日
(映画冒頭からギリシャ彫刻が映り、主人公の父親は大学教授で専門分野の一つがギリシャ彫刻)
👇続く pic.twitter.com/RYHKZPoPo6
プラトンの「人間球体説」… 面白…
우리의 음악이 먼 곳의 당신에게 어떻게 닿았을까요. 한국에서 만든 작은 멜로디가 세상 저편 당신에게 어떻게 닿을 수 있었을까요. 우리의 음악이 세상의 수많은 축복 받지 못한 연인들에게 위로가 되고, 힘이 될 수 있길. 우리와 같은 꿈이 되길. - 僕たちの音楽が遠くで生きるあなたにどのように届いたでしょうか。韓国で作った小さなメロディは世界の反対にいるあなたの心にどのように触れたのでしょう。僕たちの音楽が世界中にいる祝福を受けられない恋人たちの慰めとなり、力となりますように。僕たちと同じ夢を見られますように。(beyOnd概要欄コメント)
概要欄のコメントをビョンギが書いていることをこの時初めて知るのだけど、ビョンギが「undergrOund idOl」に遺す最後のメッセージとしての「우리와 같은 꿈이 되길(同じ夢を見られますように)」が、世界中の誰もが平等に用意されていい未来について、夢を見ることさえ許されない、あらゆる対象に向けての言葉(と捉えて良いのか)だとしたら、中途半端で無責任な励ましや応援なんかより、よっぽど優しくて嬉しくて有難いなと思う。
《余談》これは考えすぎですが、気に入っているアイデアなので残しておくと、この場面が「begin」のオマージュだったりしたら面白いなと思う。#1の電話ボックスから始まった物語が時を経て#6の電話ボックスに辿り着く。beginでのそれは、必死に避けて隠して抑えていたユジョンさんの恋の始まりのサインであり、beyOndにおいては、傷ついて初めて「君」になれたナインくんの恋の始まりのサインであったかもしれない。解釈は自由…
懺悔:ナインくんという人について
最後に、ナインくんのキャラクターについて、beat時点で学生設定に舞い上がってしまって、ナインくんの描かれ方について、かなり雑に見ていたのだけど、ここ数か月間色々と見ている中で、ナインくんへの視線がわたしの中でかなり変わってきているのもあり(内向的な部分を意識するようになった)、ナインくんと言う人が、これまでと若干違って見えるようになった。わたしが「痛みの共有」場面が刺さったのは恐らく、MVの中で実際のナイン像と重なって見えやすい部分がそこだったからである。一言で、しっくりきた。そこをふまえてから見返すと、beyOnd全体にその色が幽かに見える感じもして、beatよりも、ナインくんの内向性が色濃く見えるMV(とあと曲も)だなと思った。(ナインくんのインタビュー:内面に迫るほど内向を垣間見る感じがあり)
せっかくなので歌詞にも触れておくと、byredOとの繋がりも見えるVerse2がとても好きで「この夜は僕たちを隠せない 目を覆ってもしきりに君が見える」「冷たい君の目が僕を飲み込み、眩暈がするほどの香りに僕は酔いしれる」「君が僕を見る時鼻先がむず痒いんだ」「さあ僕を見て僕の隣に横たわって僕と同じ夢を見てよ」、ナインくんが歌詞の見事さについてユラで若干触れていたけど、「僕と同じ夢を見てよ」がとても好きだった、見つめる方向を同じくすることは、君//僕の境界を薄めるための第一歩なのかもしれない。
《余談》歌詞中「I know nothing beyOnd this」というのが、この歌詞の中で唯一出てくる「beyOnd」で、この曲の主題を探る手掛かりだと思うのだけど、未だにしっくりくる解釈が見つからない。「痛みの共有」主題説を考える中で、前後の文脈から、「beyOnd this/ここから先」=「心に芽生えた君が大きくなり、君と僕が完全に混ざり合ってしまった世界」と捉えるなら、「beyOnd」は君//僕が君=僕となる(beがOになる)境界線かもしれない。
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以上、OnlyOneOf「undergrOund idOl」とともにあったわたしの2022年のまとめ、ツイッターの投稿を文に起こしただけなのに驚くほど時間がかかった。思いつきのみでとことん内容がない過去ツイートを読み返しながら、改めて中身を補強しつつ新たに文を構築したりする中で、また全然別のイメージが浮かんできたりして、文章がどんどん客観性を失い支離滅裂のオンパレード、矛盾だらけの誰も理解できない文章になってしまった。言葉というのは、誰かに伝わって初めて意味を持つと思うので、2023年は簡潔で伝わりやすく、表現の回りくどくない文章を目指したい。適切な語彙を探しながら、文章の垢抜けを図る一年になれば嬉しい。
そしてOnlyOneOfは2023年既に 1月ナインソロ「beyOnd」リリース→2月日本シングル「chrOme arts」活動→3月本国カムバ「seOul drift」活動に加えBLドラマ出演とUSツアーまでぎっしり予定がつまっていて、今年も思いっきり波風立てながら活動してくれていてありがたい。わたしも実生活と適度にバランスをとりつつ、波に乗っていきたいなと思います。OnlyOneOfとわたし含めオタクの皆さんのこれからに期待して。
※以下追記あり(3/4 更新)
韓国、水を描くバンド
韓国のバンドシーンが面白くて、ハマり始めてから約2年が経とうとしているのに、未だ新たな面白さを見つけてはぷかぷかと浸かってしまっている。いつか書きたいと思っていたバンドについての記事を今回ようやく書く気になったので、この機にわたしが今面白いなと思っているバンドについて書き残しておきたい。随時(書く気になれば)更新予定。
1. 水と交差するバンド The Poles
- 躍動する若さ、波打つ瞬間たち
人が人生を生きながら時折出会うこととなる連続的な瞬間の高まりを「瞬間の極点(= The Poles)」と呼び、その極点の儚さ美しさを現代的ロックに乗せて歌う。メンバーは教会で出会った97年生まれの3人。ボーカル・キムダニエル、ドラム・キムキョンベ、ベース・イファンジェ。その年の若さと、まるで映画のワンシーンのように運命的な美しい瞬間を積み重ねて築かれた歴史は、彼らの音楽性を彷彿とさせる。2022年1月15日発表の正規アルバム「The Hide Tide Club」には、何度もぶつかり合い悩みつくした若い彼らの苦悩と葛藤が盛り込まれた。一日の中で一番海水面の高い満潮(High Tide)にちなんで名づけられたアルバム「The Hide Tide Club」は、The Polesとしてのこれまでと、悩みの末に確立された彼らの音楽性が痛いほどに伝わってくる名作である。
youtu.be
とりあえず聞いてみてほしい 最高なので
- 音楽的世界観に「水」を据える人・キムダニエル
3人組バンド「The Poles」を語る上で外せないのが、97年生の鬼才キムダニエルの存在である。
彼らのカバージャケットを担当しているホンスンギさんの撮った写真(だったと思う)。アートワークの美しさも彼らの音楽の魅力のひとつである。
キムダニエル (1997年3月18日生)
フランス出身、AB型、MBTIはINFJ。ギターボーカルを担当しつつ、The Polesの全ての楽曲の作詞作曲を担っているため、The Polesの音楽プロデューサーでもある。好きな映画はもののけ姫*1。
The Polesのバンドとしての始まりは、2010年、彼らが中学1年生だった頃、ロック音楽に興味があったダニエルの、教会でのイファンジェとの出会いに遡る。ロック音楽への憧れから、一緒に音楽をしようと誘ったダニエルはギターを、そしてファンジェはベースを握り、共に音楽の道を志すようになる。
そんな彼らが本格的にバンドを始めるきっかけとなったのが、ドラマー・シンドンギュとの出会いである。教会の讃美歌チームのオーディションで出会った彼らは江東区に作業室を借り、「The Remains」という名前で合奏を始めるようになる*2。しかし、リラアート高校へ進学後、チーム活動を経験しながら、音楽性の相違などの衝突により当時のボーカルが脱退、また彼らをバンド活動へと導いたシンドンギュも別の道を歩むこととなる。
ドラムとボーカルが脱退し、実質の活動が休止したことをきっかけに、ダニエルは空席を埋めるためボーカルを志すようになる。彼らが再び表舞台に現れたのは2015年、最後に訪れることとなる教会の行事での、ドラマー・キムキョンベとの出会いがきっかけとなった。こうしてようやく3人組となったバンドは、その後も様々な衝突や葛藤に直面しながら共に音楽を奏でるようになる。バンド「The Poles」の誕生である。
一方、脱退したシンドンギュは後にダニエルが新たに始めたバンド「wave to earth」のドラマーとして迎えられることとなる。The Polesとwave to earth。キムダニエルを中心に集まったふたつのバンドは、キムダニエルなしに語ることはできないほど、彼を主軸として歴史を重ねてきた。
そんな彼の音楽性を表すキーワードとしてまず最初に浮かぶものといえば、「水」だろう。
- 水を描くふたつのバンド・The Poles, wave to earth
The Polesの全ての曲の作詞作曲を担うキムダニエルはThe Polesと一緒にColdeが設立したレーベルWAVY所属のLo-Fiバンドwave to earthを率いてもいる。wave to earthというバンド名にも表れるとおり水は彼の音楽的世界観に共通する主要象徴物ともいえるだろう。 - 2022.02 DIVE インタビューより
wave to earthにおける水とは「波」である。
wave to earthの楽曲は、「wave」「surf.」「ride」など、波に関連のある題材を扱った曲が多いことで知られている。チーム名に「いつか僕たちが新しい波になろう」という意味をこめたバンドは、2021年に、Coldeが設立したレーベルWAVYに合流する(流れが完璧すぎて、やはり映画のようである)。
ゆらめくギターリフに波のように静かに押し寄せるドラム、wave to earthは音で波を表現する。彼らの奏でる波は、ゆるやかなテンポでわたしたちの心に優しく辿り着く。
一方、The Polesの音楽は、彼らがバンドを志したきっかけでであるロックジャンルを中心に展開する。「極点」を表すバンド名のとおり、楽曲には天体にまつわる名前が度々登場し、それらに交えながら、彼らは自身が経験した様々な「瞬間」を歌ってきた。そのためか、wave to earthに比べ直接的に水にまつわる題を歌ったものは少ない。
しかし、2017年のデビュー以来、5年の歳月と方向性に関する葛藤を経て、ようやく発表することになった今回の正規アルバムには、彼の音楽的象徴である「水」の面影がかすかに見え隠れする。アルバム発売に先立って先行公開されていた「space」は、恋愛の中のある「瞬間」を切り取りつつ、水の上を浮遊するような幻想的なメロディに乗せて歌われる。
Rollover~Find Me!~Goin’Highの流れ天才では?????????????????Good Morining Sunshineを起点に後半のトラックに行くにつれて時間がゆっくりと流れて再びSpaceに流れ着くという……ㅤhttps://t.co/kEJHYM0mtC
— くま (@not_kuruma_) 2022年1月15日
「The Hide Tide Club」、月が引き起こした現象である、一日の中で一番海水面の高い満潮をテーマにした今回のアルバムは、音楽的象徴に「水」を据えたキムダニエルと、ロック音楽であらゆる「極点」の瞬間を切り取ってきたThe Polesとが交わる場所である。
wave to earthにとっての水が「波」ならば、The Polesにおける水は「漂流」だろう。彼らの音楽は、彼らのこれまでの、美しい瞬間たちを重ねてようやく流れ着いた場所であり、到着した見知らぬその場所で、乾いた人々の心を潤すオアシスのような存在だ。
2. 水を愛するバンド The Whales
- 黒く青い海に立ち、水の流れに身を任せる
2022年1月1日、新しい年の始まりと共に、激しい水しぶきをあげてバンドThe Whalesはデビューを果たした。デビュータイトルは「The Whales」、チーム名と揃えて作られた楽曲は、海中で生きるクジラについて歌いながら、何度も確かめるように「We Are The Whales」と繰り返す。彼らの今後への決意がこめられた歌だ。
The Whalesは、2021年夏にJTBCで放送されたバンドプログラム「スーパーバンド2」にて出会ったチームである。メンバーはベース・ヤンジャンセミン、ギター・チョンソクフン、ピアノ・キムジュンソ、ドラム・チョギフン*3。競演プログラム内で勝ち残るため「海における最高の捕食者」であるクジラから名前をとった。結果は最下位の6位でプログラムを途中脱落することとなったものの、チームとメンバーへの思い入れはどのチームより深く、その愛はチームと同じ名前の楽曲を引っ提げて、どこよりも早くデビューしたことにも表れている。
youtu.be
海辺で撮影されたMV、全体的にくすんだ色味が素敵
- 指先で水を描くピアニスト・キムジュンソ
そんなThe Whalesを愛するひとりであり、ピアノを担当するキムジュンソが、彼の自作曲において水を語る方法が、あまりにも素敵なので共有させてほしい。
キムジュンソ (2001年5月8日生)
The Whalesのピアニスト、MBTIはINTP。出演した「スーパーバンド2」の前シーズンで優勝したHoppipollaのヨンソと親しい。「スーパーバンド2」にもヨンソの助言により参加した。好きな食べ物はフライドポテト*4。
The Whalesの始まりは、ジュンソがチームに合流した時に遡る。決勝前最後の4ラウンドにて既に息を合わせていた他メンバーに、ジュンソが「ヒョンたち、僕どうですか?」と申し出たことにより(こういうところが本当に好き)合流することになった。サウンド重視の激しい音楽性に鍵盤という新たな色が加わった瞬間である。ジュンソの合流によって、スキルフルな音楽性はそのままに、チームのキーワードである力強い「希望」を盛り込んだ彼らの音楽的アイデンティティが確立されることとなった。
しかし、2022年4月、ボーカルであるキムハンギョムがチームを脱退し、The Whalesはデビュー早々事実上の活動休止状態となった。チームとしての活動再開が待たれる中、メンバーたちはそれぞれの道で活躍することになる。
その中で、キムジュンソは同じくThe Whalesのメンバー・ギタリストのチョンソクフンと音楽番組「Beginagain」に出演する。
Orca : シャチを意味する単語で、The Whalesとして活動中のふたりが即興的に演奏しながら作った自作曲。荒々しく打ち付けられる波と険しい海中のシャチの様子をループステーション、ピアノ、アコースティックギターのみで表現した演奏曲。
Orcaはクジラ目のシャチを表す単語だが、ラテン語ではクジラそのものを指し示すとか。彼らのデビューシングルと同じ題材を扱った曲であるが、グランドピアノとアコースティックギターを使って全く違う曲に昇華させている。
일렁임의 찰나(ゆらめきの刹那) : 咲き誇ってから散りゆくまでの間、そのゆらめきの短い瞬間。刹那的な波長はどんな波動を引き起こすのだろうか。船頭をどこに向けるべきか思い起こしながら書いた曲。沸き起こった小さな波紋が打ち寄せる波となり、砂に砕けてゆく過程をピアノとギターで描いた演奏曲。
繰り返されるピアノのフレーズが、ゆらゆらと打ち寄せる波のように行ったり来たりしながら、刹那的で儚く美しい瞬間を描き出す。後半のきらきらしたピアノの旋律を、すごい幸せそうな顔で紡いでいくジュンソの顔がすごい好きです。
(あと水は関係ないけどLove Themeめちゃくちゃ良いのでこれも見てほしい)
「Beginagain」出演をきっかけにして、作業室で共に夜を明かしながら自作曲をいくつも作曲していくうちに、준서쿤というユニットを組んでコンサートまでやってしまったふたり…(リンクはふたりのサンクラ、ジュンソベースボーカル、ソクフンギターボーカルの最高デュオをやっている)
先日、ジュンソが自作曲だけで1時間を埋めてくれる最高コンテンツ「낮밤선율」がNAVER NOW.で放送された。
1. 물살에 기대어 pic.twitter.com/kZAMYkvcE7
— 흠돌이 (@ban___d) 2022年4月30日
물살에 기대어 (水勢にもたれて)
온 맘 바다 향해 흐르면 < 이 곡 진짜 공감각적 심상을 불러일으킴 .. 물결이 소리 내고 있는 거 같음 pic.twitter.com/mFJs0Jkcyv
— archive. (@lovebandtoomuch) 2022年5月1日
온 맘 바다 향해 흐르면 (心の全てを海に向って注げば)
The Polesのキムダニエルが、概念的なところの「水」を描いているのに対し、The Whalesのキムジュンソは、より現実的で具体的な、実体としての「水」を描いている。そこには、「水」に対する敬意と愛があり、「水」に生きる人々や動物の温かさや匂い、優しさが感じられる。
おしまい(唐突なおわり)
今後書きたいバンドがあれば続きを書きます 夏に向けて、海へのドライブで聞きたいバンド夏曲リストを貼る
本当におわり
【感想文】Equal観た
Equal観た。
以下感想文、記事で扱うほどの内容がなかったため自分だけのために書き起こそうかと思ったのですが、一週間経っても余韻から帰ってこれずずるずると引きずってしまっているので、自分の中での感想考察を整理するためにも、直後に書いた感想に書き足す形で簡単に残しておきたい。
感想文なので期待して読まないでください。
以下、本当に感想文
目次
- はじめに
- 感想文1:キャストについて
- 感想文2:内容に関しての解釈と疑問点(ここから完全にネタバレ)
- 追記:2/22 ジュチャンによるQ&Aを見て(ネタバレ含む)
- おわりに:家でEqualやってる人へ
感想文2は完全にネタバレなので、踏みたくない方は注意
はじめに
大前提:感想を書く人(わたし)について
ミュージカル「Equal」を観ました。
検索から引っかかった人(が果たしているのか)のために自己紹介しておくと、わたしはニコラ役として出演されたホンジュチャンさん、の所属するGoldenChildというチームのファンです。今回の観劇も彼が出演するということがまず一番のきっかけでした。キャストから演劇沼入るのオタクあるあるだよね
とはいえそもそもジュチャンがミュージカルに出演するのは今回が初めてではなく、一昨年の「狂炎ソナタ」、昨年は「ALTAR BOYZ」「ON AIR」等にも出演していました。もともと演劇のオタクというわけでも、ジュチャンのオタクというわけでもなく、経済面の余裕もないので彼の出演するミュージカルは毎度観劇には至りませんでした。というわけで、今後も見送るつもりでいたのですが、今回、Equalに出演するということで、急遽観ることにしました。末満作品だったからです。
ミュージカル「Equal」、今回は韓国で初のミュージカル化、とのことだったのですが、原作を書かれたのは日本の方です。大阪出身の脚本家末満健一さんという方、界隈では有名な方で、演劇に疎いわたしですら名前は勿論存じ上げているし、作品もいくつか観たことがあります。ということで、「末満作品に出演するジュ、観たい」となり、観劇を決めたわけですね。とはいえ「Equal」については全く知らず(末満さん原作であることを知って本当に驚いた)、内容も知らなければ観るのも今回が全くの初めてでした。
観たのは2月11日昼公演、NU’ESTのベクホさんがテオ役を演じられた回。ニコラ役は勿論ジュチャン。突発的に思いついて、思い立ったが吉日とキャストのことも大して考えずにチケットを買いました(根っからのISFPの方)。わたしは演劇に限らず大抵のものに関して事前知識を一切仕入れずに思い立ったら即行動タイプなので(事前準備が面倒で苦手なだけのISFP)今回も辛うじてHP中のパンフレットに書いてある時代背景説明と人物紹介だけを見て挑みました。
(後から考えるとその用語説明も読まなかった方が良かったかもしれないと後悔した。飽くまで末満作品に関しては、舞台内だけで背景設定が十分理解できるようにしてあるし、脚本自体その場で得られる感動や驚きをかなり重視して書かれている気がするので。)
簡単なあらすじ
「Equal」というのは、17世紀ヨーロッパを舞台に、幼馴染であるテオと二コラ、ふたりの運命を描いた二人劇です。最初から最後までキャストはテオ役ニコラ役のふたりしか登場せず、舞台セットはニコラの部屋のみ。全ての出来事はニコラの部屋の中で展開し、劇中ではそんな二人のある一週間、きっちり一週間の出来事が描かれます。一週間、同じような毎日の反復の中で、変化していくふたりの様子を描いた作品なんですね。もう面白い。さて、テーマは三つ。17世紀ヨーロッパ、蔓延する感染病ペストに脅かされ、人々はなすすべもなく黒魔術に救いを求める。まるで神に見放されてしまったようなこの世界でどう生きるか。そして、病を患い死ぬ日だけを待ち続けるニコラと、そんな彼を看病する医者としてのテオの死生観。最後に、「自分」という存在は誰なのか、「自分」は何を以って「自分」であるのかという永遠に続く自己定義。
感想文1:キャストについて
配役とキャストについて
まず初見感想。ああ…末満さんっぽいな…という後半の畳みかけるようなどんでん返しと考察の余地が広がる含みのある言い回し。劇中で最初の方に感じていたいくつもの疑問点が後半の怒涛の展開で次々と回収されていく感じ。観れば観るほど解釈が深まるので、おそらく、何度か見たらその数だけ受ける印象が違うのだろうな、と感じました。
配役に対してキャストの数が多く、日によって組み合わせも違うので、そういった面でも何度も通って観る楽しみになるのだと思います。
末満さんの作品の代表作に「TRUMP」というのがあるのですが、この作品は「Truth」版「Reverse」版の二通り上演されました。登場人物がすべて二人一組の対になっており、「Truth」と「Reverse」ではキャストが入れ替わる。例えば、主要人物として、主人公とヒロインがいれば(「TRUMP」でヒロインは出てきませんが)、「Truth」で主人公を演じたキャストが「Reverse」ではヒロインを演じる、みたいなことです(伝わってほしい)。脚本はあるものの登場人物の容姿や声、細かな性格が設定されていないので、そのあたりをキャストの解釈に委ねてあるんですね。そういう、面白いことをやるのが末満さんだと思っているのですが(わたしはそんなに詳しくないので間違っていたらごめんなさい)、今回の「Equal」でも色々なテオニコラがありそうだな~と、体格も顔つきも全然違うキャスト一覧を見て思いました。勿論脚本で大筋は決まっているけれど、具体的なテオ像ニコラ像があるわけではなく、脚本で決まっている言動以外の部分は、それぞれのキャストの色で様々に塗ってくれて良いと。
(そもそも日本版のEqualは曜日ごとにニコラとテオが入れ替わっていたらしい。考えただけでも脳がバグりそう)
考察し放題の複雑な内容に、日ごとに変わっていくキャスト、観る度に印象はかなり違うだろうし、やはり演劇というのは何度も見てこそ面白い。テレビや映画等映像作品が主流の時代に、演劇のそういう面白さを感じさせてくれるのが末満作品だなと個人的に(拙い知識範囲内ですが)思います。
ベクホテオ×ジュチャンニコラ(2月11日昼公演)について
さて、偉そうに語りましたがわたしは2月11日昼公演しか観なかったので(別日の公演はネットに出回っているチッケム等で軽く見たりはした)、とりあえずベクホテオ×ジュチャンニコラについて思ったことを残しておきたいと思います。
まず、ベクホテオ。
2月11日のベクホについて「柴犬」に見えると仰っている方をツイッターで見かけたのですが、本当にそう。満面の笑みでニコラの周りを駆け回っている様子、あれはもう犬ころ以外の何者でもない。犬ころである。ベクホさんに関して、わたしはプデュ2の時にニュイ動画を漁り見つけた、ベクホさんがひとりでお好み焼きを作る動画で認識が止まっているのですが、動画内でネギを皿に移しながら「ヘヘヘ…」と笑っている様子が意味わからんくらい可愛かったんですよ。その時の顔が思い出された。何の話?
可愛いので見てほしい
テオの性格に関して劇中では「(ニコラの)馬鹿みたいな友達」だと歌われる部分があります。ベクホさんはがっしりした体格に犬ころみたいな可愛さ、純真無垢で何も考えてないみたいな顔で笑う、「馬鹿みたい」というのが非常に似合うなと思いました。悪口じゃないです
馬鹿みたいだけど、がむしゃらで純粋でニコラの病を治すために奔放する気の毒な友達。いかにも主人公っぽい。実際のベクホさんという方は(よく知らないので刺さないでほしい)、歌も上手ければ作曲もできる器用な方で「馬鹿みたい」とは程遠いですが、容姿(とあとあの屈託のない満面の笑み)が所謂「馬鹿みたい」であるキャラクターにぴったりだと思いました。
それに対してジュチャンニコラ。
GoldenChildのホンジュチャンくんに関して知っている方は分かると思いますが、彼の本来の性格と、今回演じることになったニコラという役は一見正反対に見えます。天真爛漫で、(もともと器用な方ですが)努力を惜しまず健気に、懸命に生きておられて本当にえらい。どちらかというとテオに近いよね。
【アイドルをキャラクターとして解釈する行為が苦手な人は飛ばしてくれて構わないです】
ただ、器用な優等生ほど裏にとんでもない執着心と狂気を秘めているという典型的な二次元キャラクター像が染みついているわたしにとっては、ジュチャンさんをかなり神経質な性格として勝手に(二次創作内で)キャラ解釈していたので、今回のニコラ役、非常にありがたかったし面白く見させてもらいました。ベクホテオに何か言われる度に顰める顔が良かったし薬を調合するシーン、日に日にサイコパスみが増していて最高だった。
ジュチャンさんのこの天真爛漫さをわたしは勝手に「主人公力」と呼んでいるのですが(少年漫画の主人公っぽい)、今回も遺憾なくその主人公らしさを発揮しておられ、観ながらわたしはニコラが主人公だったっけ???とすら思いました。テオよりもニコラの方に感情移入してしまう。
テオと二コラどちらが主人公なのか公式では発表されておりませんが(多分二人とも主人公という設定?)、いくつかの記事で「テオが主人公」と書かれているものがありました。実際にストーリーは終始テオの視点で展開し、視聴者はテオの視点に合わせて真相を理解していくので、劇中で主人公的役割を果たしているのはどちらかというとテオだと言えると思います。
(テオが物語の語り手かつ主人公なのに対してニコラが物語の主役、中心人物的な役割。「ドラえもん」でいうのび太とドラえもんの関係性)
にもかかわらず、ホンジュチャンさん自身が元々持つ主人公力が強すぎて、ニコラの方が主人公に見えた。このあたりが非常に面白くて、この舞台を最後まで見た方は分かると思いますが、このジュチャンさんの主人公力が後半の展開で図らずも妙にしっくりとはまってくる感じがあって、そこが良かったです。
ジュチャンさんのニコラに関して、2月11日以外の公演でどのように演じていたのか、様々な方が書かれた感想を読ませてもらったのですが(実際には観てないから詳しくはわからない すみません)、公演ごとにかなり違った演じ方をしていたようでした。
ニコラの設定として「繊細」というのがあります。
劇中では語られませんがHPのパンフレット中にも「神経質で繊細な性格の持ち主」とあります。ジュチャン演じるニコラも最初はその「繊細」な印象があったそうです(何度も言いますがチッケム等で断片的に見ましたが本編は見ていないので、他の方のいくつかの感想から推測して書いています)。それが、偶然にもわたしが観た2月11日昼公演あたりから「怒り」の部分が前面に出て繊細さがあまり感じられなくなった。わたしも2月11日昼公演を見ながら、パンフレットを見て事前に仕入れていた「繊細」な性格と全然違うのでかなり混乱しました(このあたりが事前知識入れない方が良かったなと思った理由でもある)。
ジュチャンさんご本人も、2月13日に「今日は自分の解釈でかなり違う風に演じてみた」という旨のコメントをされており、そのあたりから色々と試行錯誤されていたようです。最終的にどういう形になったのかをまだ観てないので分からないのですが、レポを読む限りは日に日に「怒り」の部分が増しどんどんサイコパス的になっていっていると。本人の解釈がどういうものなのか、聞いてみないことには分かりませんが、個人的には、ジュチャンさんは、ニコラがもともとは繊細な性格だったのが、同じことを反復してゆくうちに、自分の思う通りに事が進まないことへの苛立ちが積み重なり、自己中心的な性格が表立って出るような、そんな神経質な性格に変わっていった、その様子を演じようとしたのかな、と思います。
先程ジュチャンさんの「主人公力」がすごいという話をしましたが、なんというか、全体的にあまり弱々しい感じがしない。病弱で繊細で、というニコラの役を演じるには、本人のもつ「主人公力」が強すぎる。本人とはかけ離れたニコラという役を、ジュチャンさんは「怒り」を前面に出すという形にうまく昇華させることで、違和感なく演じきったというのが、うまいなというか、ジュチャンさんすごい…になりました。全部妄想ですみません。ジュチャンでなければあのニコラにならなかっただろうし、「繊細」ではなく「怒り」に近いというあの形が、ジュチャンが演じるニコラとしての正解だったのかなとも思います。
あとテオベクホとジュチャンニコラのバランスがすごい良かった話させてほしい。また主人公力の話するけどベクホさんの持つ主人公っぽさとジュチャンさんの持つ主人公力がうまいこと拮抗して対等な感じになっていたの良かったな~ 概念の話しすぎ あと他の公演観てないやつが偉そうなことを言うようですが声の相性すごくなかったです?????ジュチャンさんの針の穴に糸を通す時のような綺麗な高音。
(これはTMIですが学生時代にフルートを吹いていたときに、高音は面ではなく点を意識しろと言われたのを覚えています。綺麗な音が出る領域というのがあり、そこにピンポイントで息を入れないと良い音が出ないと。ジュチャンさんの高音というのは、そういう細やかで繊細な高音だと思いました。)
に対して面で力強く支えるベクホさんの低音、の相性良すぎて音源がほしい。売ってください。具体的にナンバーを言うと火曜日の「僕たちだけの魔法」、木曜日の「神は何故」、土曜日の「嘘の嘘の嘘」の重唱部分。売ってください。
キャスト ホンジュチャンさんについて
わたしがGoldenChildのファンなのでさっきからジュチャンのことばっかり言ってますがもう少し言わせてほしい。今回、ジュチャンさんのミュージカルを初めて見たわけですが、まずは圧倒的な歌唱力。語りかけるように発声しながらも、安定して良い聞き心地、すっかりミュージカル俳優になられたのだなと感じた一方、普段のジュチャンさんの喋り方もどこかミュージカルめいているので、全然違和感がなくて笑った。とにかくうまい。どれだけ動いても全然乱れない発声と音程。この人は本当に歌が上手いなあと思う。あとジュチャンさんの低音を聞く機会があまりなかったのですごく新鮮でした。ゴルチャ内だとどうしてもサビの高音パートを歌わされることが多いのだけど、低音で響かせるジュチャンさんの声ももっと聴きたい。ウリム頼みます
そして、顔が、すごく綺麗だった(という感想は何なのよ)。ジュチャンさんの顔はもともと綺麗ですが、綺麗、というだけで泣きそうになったのは初めてかもしれない。綺麗だった。役柄が神経質な役柄でしたが、彼の華奢な体つきと(と言ってもかなり鍛え抜かれている)繊細な顔の造りが役柄ととても合っていて、めちゃくちゃ良かったです。神経質なジュチャンさん、旨い… (腐女子、すぐ旨いとか言う)。特に美しかったのが、赤い照明に照らされて丸くて大きい目の影が顔に落とされるところ、美しくて思わず息を飲んだ。そして、全体的に血色がなく目の下にクマがあり色白く憂いを帯びた表情、が綺麗すぎる。こういう表情の彼を普段見ないので、綺麗すぎて終始ドキドキしていた。目が据わっていてその中に狂気が透けていたのも良かった。
そういえば、数日前行われたゴルチャの単コン(PLAYコン)でも目線の送り方がミュージカルのそれになっていたな~などと思い出す。ジュチャンさんの目、本当に綺麗だなと思う。ミュージカルでよくあるじゃないですか。観客の方を見るわけでも、カメラを見るわけでもなく、遠くの上方に目線を送りながら台詞を喋るやつ。ジュチャンさんが儚げに遠くを見つめている、その大きな目に光が反射してきらきらとしているのが、本当に綺麗で、PLAYコンでも印象的だった。
ちなみにPLAYコンからの今回の公演の流れで完全にジュチャンさんに恋してしまった感じなので、数か月後にジュチャドゥニスになっていても驚かないでください。
感想文2:内容に関しての解釈と疑問点(ここから完全にネタバレ)
結末について
最後、末満さん脚本の日本版とは全然違うみたいなので、考察もまた新たにする必要があるのですが、考察に弱いわたしは全くわからず。
真実を知るために命を懸けて薬を飲もうとしたところをニコラが止め、「生きている間は(自分たちの存在について)悩んでみよう」の後の流れなので、最初はハッピーエンドだろうと思っていたのですが。それだとしっくりこない部分があって、色々と考えた結果、心中ラスト、なのかなあ、やはり… 今日を誕生日、にしようという提案が、変なんですよね。単純にお互いが1代目の記憶を微かに思い出したこの日を記念日的な意味で誕生日、としたのか。それとも、今日を誕生日にして、もう一度生まれ直そう、ということか。赤い海に行くという話、空に向かって歩いた先が星になり、走馬灯のように思い返されるエピローグ。「生」が生まれる場所、赤い水の上でぷかぷかと浮かびながら、これまであったことを思い浮かべていくうちに、彼らは星になったのか。ようやく、死と向き合うことができたのか。
「赤」について
劇中で「赤」は頻繁に登場します。テオが賢者の石にしようとした魔法の赤い石、異端者の処刑を知らせる鐘の音と共に登場する赤い照明、赤い薬、赤い海(胎内=試験管内どちらも生の始まりの場所であるから、この場合区別はしていないのだろう)。赤には何か象徴的な意味があるのだと思います。劇中で失敗作のテオを処分する時に、黒い薬が使われました。黒が「死」を表すのだとしたら、赤は「生」を表す色なのかな、と思ったり。死んだ者を生き返らせる、または新しい生として生まれ変わることを象徴する色。
わからなかったのは、緑の意味。登場人物のオデットとマリエッタは共に「淡い色の赤毛」「緑色の瞳」。ここだけならまだしも、ニコラが赤い海に行った時のことを回想するシーンで、「日差しを浴びると瞼の内側に緑や赤の点がギラギラと輝く」と言う場面があります。ここでいう赤と緑にも何か象徴的な意味が… あったりしますか?わかる方いたら教えてほしいし万が一単に光の三原色的な問題で普通陽の光を浴びながら目を閉じたら緑と赤が見えるもんなんだとしたらめちゃくちゃ恥ずかしいので放っておいてください。
劇中の「テオ」と「ニコラ」
(ここから劇中のテオニコラを「」付きで、元々のテオニコラはそのまま記します)
このあたりは最初に観た時分からなかったのを段々と理解が追い付いてきたので書き記しておきたい。ベクホさん演じた劇中の「テオ」というのは、テオの血が混ざった死んだニコラ、テオの記憶を分けた死んだニコラ、すなわち体はニコラだけど性格はテオ(テオであるように洗脳したから)。だから錬金術に興味を持ったし、オデットに似たマリエッタを好きになった。「テオ」が「ニコラは常に新しい可能性について開かれた人間」という部分があり、その「テオ」によるニコラ像が全然ジュチャンさん演じる「ニコラ」と異なるので疑問だったのですが、今の「ニコラ」は元々のニコラではなくテオなんだから当然だよな~と納得した。
テオはなぜ「ニコラ」にならねばならなかったのか
テオはニコラが死んだことでニコラを失ってしまったのだから、ニコラをニコラとして生き返らせれば良かったのでは?と拙い思考力のわたしは最初思ったのですが、一週間悶々と考えていくうちに、テオと言う存在は、永遠に「ニコラの病気を治療する人」でなくてはならないから、ということなのかな、という考えに至りました。魂のないニコラの肉片に自らの記憶を注ぎ、自分はニコラとして振る舞うことでテオとしての自我を確立させる。ふたりしかいない世界、お互いによって自我が成り立つ世界であるから、歪んだ方法ではあれどこういう形を取るしかなかったのかな、と思いました。
このあたりホムンクルスの知識があればもっと分かりやすいのかもしれない。
「犯人」は誰か
原作ではマリエッタはどちらかのテオによって直接殺されたという設定だそうです。今回のミュージカル版「Equal」ではマリエッタを黒魔術に手を出した人に仕立て上げた「犯人」が存在します。その犯人が誰なのか、劇中では出てこないため分からないのですが、「ニコラ」が犯人ではないのか?という仮説が立てられます。「ニコラ」が掴まえて(おそらく薬のための材料として使った)カラスを「ニコラ」は捨てたというし(どこに?)、マリエッタが殺されたことについては「ニコラ」によってしか語られないから。マリエッタと恋に落ちた「テオ」が許せなかったから、「ニコラ」はマリエッタを殺したのだろうか?ただ、日曜日に「テオ」から「犯人は捕まったんだって」とわざわざ語られるので、今回の「Equal」では変に邪推せずに「ニコラ」は「犯人」ではなかった、と捉えるのが正解なのかな…と思います。解釈は自由ですが!
追記:2/22 ジュチャンによるQ&Aを見て(ネタバレ含む)
ミュージカル「Equal」を終え、ジュチャンさんがQ&Aコーナーを開いてくださったので、そこでお話されていたことをメモ程度に残しておきます。物語の真相について彼なりの解釈で話してくれていますが(上の感想文2に書いた疑問についても答えてくれている)解釈はその人の自由で結末は開かれたものであるとご本人も仰っていたので飽くまで参考程度に。
1時間強の長尺で話してくれているので箇条書きで簡単にまとめていきます
(ここでも役としてのテオニコラと、1代目テオニコラとの差は「」の有無で区別しますね)(直訳ではなく完全な意訳です)
「ニコラ」という役について
・「ニコラ」にとって「テオ」は、友達でありながら実験のための実験体であり、自分は実験体を見守る観察者である。それを念頭に置いて演じた。(11:19~)
・その「テオ」がある日錬金術を知ることになる。錬金術に関心を持ってしまった「テオ」を仕方なく諫めつつ、脳内で複雑に悩み始める「ニコラ」。マリエッタに恋し自我を持ち始める様子を見て「ニコラ」は「大変なことになった」という思いと、「裏切られたような気持ち」になったのだろうと思う。(18:45~)
・そもそもテオがニコラを生き返らせた動機(「ニコラ」が「テオ」を生かした動機)は?自分の隣にはニコラしかいないから、最初は本当に唯一の友達ニコラのためを思って生き返らせたのだと思う。それが、段々と実験自体に対して執着するようになっていったのだと思うし、そのように演じた。(41:06~)
・ニコラの鋭敏な性格はもともとの彼の性格なのかそれともテオの性格なのか?状況が厳しくなれば誰だって鋭敏になりうるし、そういう意味の鋭敏さだと受け取って演じた。友を殺さなければならないし、それを隠して生きているのだから鋭敏になって当然だ。(50:07~)
「ニコラ」を演じるにあたって
・時間がなかったため台本を最初は理解できなかった。演じながら理解をした。(10:57~)
・「テオ」を殺すか生かすかについての苦悩を表すために、赤い薬(=生かす薬)を見る目はゆっくりと、反対に黒い薬(=殺す薬)を見る時は素早い目つきで疑っている様子を表すことで演じ分けた。(25:44~)
・最初は(ジュチャンさん自身の)「テオ」に対する怒りが大きかった。自分の血を分けているのに自分の思う通りにならず変わっていく「テオ」に対する怒りが。だから台詞である「今度も失敗か」も冷たく言っていたと思う(本当に役に入り込んでいたんだな)。しかし回を重ねていくうちに段々と虚しくなり、様々に考えていくうちに悲しくさえなった。(43:34~)
・ナンバー「カラス」で机から降りるシーンは惜しかった部分だ。もっと危険で目が狂ったところを見せたくて、本当はもっとギリギリまで追い詰めて机から降りるようにしたかった。(55:45~)
・カラスは可哀想だった。最初はカラスを自分みたいだと感じて拾ってきたし、袋に囚われたカラスの首にまとわりつく紐を解いてあげた(ここはアドリブなのかな、日によって違ったと思います)。それが、「テオ」と言い争ううちに段々とカラスはどうでも良くなって、ただ自分(=を投影したカラス)は惨めだ、危険な状態だということを見せたくて最後の公演になるにつれて紐を雑に持つようにした。(56:37~)
위태로운 모습 더 효과적으로 보여주고 싶어서 고민하다가 까마귀 줄 끝만 잡는 디테일까지 신경 쓴 거 진짜 짱임 넘 똑쟁이임.. pic.twitter.com/STREjng7aB
— 네모 (@jxxchan731) 2022年2月22日
・ちなみにキャストは図鑑サイズの台本をもらうそうです。設定やら時代背景もしっかり載っている。ナンバーの部分は音源じゃなくて楽譜でもらうんだな…
その他様々な謎の解釈について
・ふたりの複製人間を誰が作ったのかはわからない。結末は開かれている。(15:03~)
・ベッドに付いた赤い血は「テオ」には隠してた「ニコラ」の病気によるものだと思う。反抗心から関心を引こうと外に出たしベッドも汚した。(28:00~)
・なぜカラスを助けたのか?「テオ」を処分しようとしているのになぜカラスが必要なのか、それとも本当に可哀想で助けたかったのか。最後に捨ててしまったところを見ると、「ニコラ」も悩んでいたようだ。ただカラスを見て様々な感情が沸き起こり、連れて帰ってきてしまったのだろう。(32:13~)
・手紙を貰ったオデットはなぜ疑問に思わなかったのか?オデットは77歳のおばあさんだから、アルツハイマーにかかって(そうなんだ…)昔の良かった記憶だけを思い浮かべているのだろう。(42:27~)
・マリエッタを殺したのは誰か? 本当にマリエッタが黒魔術に手を出して処刑されたのだと思う。ニコラは関係ないことだ。(44:51~)マリエッタがなぜ黒魔術に手を出したかはわからない。でも本当にニコラはその件には関係していないと思いながら演じた。なぜならマリエッタが死んだと告げる時、「ニコラ」が泣いていたのは、これを告げると「テオ」は錯乱すると分かっていたし、そんな彼を処分してくはないと思っていたからだと思うので。(48:49~)
・エンディングシーンの意味?エピローグは幸せだった時の回想である。記念日だから、「この世には僕と君のふたりしかいない」閉ざされた空間を出て、僕は僕で君は君だということを確認しようとしたのではないか。(59:00~)
ブイライブを見てわたしが思ったこと
ジュチャンさんの解釈、ジュチャンさんらしく明るくて幸せな解釈で素敵だなと思いました。何よりビハインドも含めて演じ方までかなり詳細に話してくれて嬉しかった。わたしの中のすべての疑問が解決されたわけではありませんでしたが(ミュージカル版は脚本も結末も大きく違うわけだし、解釈は自由なので)このブイライブをきっかけにわたしももう少し悩んで考えて、自分なりの自分解釈Equal、を作ることができたら良いなと思いました。
あと印象的だったのが、オタクの「もしも「テオ」をやっていたとしたら?」という質問に対して「「テオ」も面白そうではあるが、演じていて楽しかったのは「ニコラ」だった」と仰っていたこと。そして、オタクの質問に対して答えるために、ナンバーを歌ったり台詞を言ったりしながら少しずつ「ニコラ」だった時の感覚を思い出そうとしているように見えたこと。最終公演の前ポケドルで「ニコラ」としてメッセージをくれたり、公演を終えて「GoldenChildのホンジュチャンとしてカムバックした」と仰っていたことからも感じましたが、ブイライブ全体を通して、ジュチャンさんが「ニコラ」という配役について、まるで自分のことのように考え悩み感情移入していたことを知ることが出来て嬉しかったです。オタクが考察して楽しんでいたように、ジュチャンさんも演じている間、「ニコラ」として考え「ニコラ」として生きてくれていたのだなと。ジュチャンさんもオタクたちも、2/20を以って「ニコラ」とはお別れでしたが、こうやって余韻に浸っている感情を一緒に共有してくれたことが、本当に嬉しかったです。ありがとう… 少しでも救われた思いのした過没入オタク……
おわりに:家でEqualやってる人へ
というわけで、かなり長くなりましたが、わたしが2月11日に「Equal」を見て、その後一週間ほど悶々として考えたことを書き記しました。この文章を読んだ誰かの疑問を解決したり、解釈を広げたりということができたとは思いませんが、同じく舞台を観て未だ抜け出せられない誰かと、一緒にこの余韻に浸り感情を共有することができたら、それだけで良いな、と思います。
最後に、完全にハマってしまい家でひとりEqualやってるわたしが書き起こした歌詞を一部(特にやりたかった「까마귀」と「신은 왜」)共有しておきます。今後ネット上に上がるかもしれませんが、今のところ見当たらなかったので。わたしみたいに家でひとりEqualやりたい人は参考にしてください。
間違ってたらごめん
【LOONA】今更ながら、LOONAverseについて一度まとめてみる① プロローグ 1/3:出会い、運命
0.はじめに
本記事は、LOONAの繰り広げる世界観 "LOONAverse" について、数多くの国内外のOrbitたちの素晴らしい分析と考察により、現時点で明らかになった部分の解釈について簡易的にまとめてみるものです。以下注意点
Ⅰ 本記事の内容は、公式からのヒントをもとに、極めて基本的な考え方をまとめたものであり、筆者の若干の考察と、他のオービットの考察の引用で成り立っています。
Ⅱ 映像の表面的な象徴を拾って構築されたLOONAverseと、MVの伝えるストーリーとは本来別のものであり、お互いに相容れないものですが(例えば「다녀가요」の伝える少女の片思いの物語に、ブレスレットだなんだという世界観構築のためだけの要素は邪魔なだけである)、アイドルとしてのLOONAの全体像を考え、本記事ではその双方を考察に盛り込みます。
Ⅲ 先行して公開した世界観入門動画を先に見ていると、全体の流れが理解しやすいかもしれません。(URL : 世界観入門①)
1.LOONAとは
LOONAverseのお話を始めるにあたり、まずはLOONAの構造について軽くまとめておきたい。
LOONAは2016年9月に1番目の少女ヒジンを公開して以来、毎月ひとりずつ(とはいえユニット活動を挟んだりするので実際は隔月で)新しい少女を公開し、2018年3月までに12人の少女を披露した。
この12人の少女たちは、LOONA1/3、LOONA ODD EYE CIRCLE、LOONA yyxyの3つのユニットに所属し、それぞれが全く別の世界観を築いている。ここらあたりの基本情報から分からない人は初級編の動画から先に見ると理解し易いかもしれません。
(以下、それぞれ1/3、OEC、yyxyと表記)
これらのユニットはそれぞれ、1/3=地球、そしてその地球の上にあるyyxy=エデン(天上界)、そしてその二つの間に位置するOEC=中間世界という場所に位置しており、12人の少女たちはお互いの存在を知らないまま暮らしている。
つまり、平面上で考えれば、上からyyxyのエデン、OECの中間世界、1/3の地球、という順番にそれぞれが位置しているということになる。
ちょうど180度上下反転すると、LOONAの世界観を表す地図になってしまうという粋な画像
これが地理的な面から見たLOONAの世界観。
そして、LOONAの世界観の鍵となる概念がもう一つ。
LOONAの世界観を築いた張本人 Jaden Jeongのインスタ(@jaden_jeong)より
LOONAの世界観はメビウスの輪のイメージに象徴されるように、終わりのない軌道を繰り返し繰り返しループするという法則がある。
LOONAverseの考察者のひとりであるCaskerさん(@caskerbox)の解釈をお借りすると、12人の少女たちは、予めお互いが「繋がることへの内在的な渇望」を持っている。それは、彼女たちの世界観の中で、大きく分けて3つの行動として表れる。
「向かうこと」「探すこと」「上昇すること」。
I came up with three main connections:
— c&sker 🕊️ 💚 (@caskerbox) 2018年8月21日
[ to go ], [ to find ], and [ to ascend ]
というわけで、ものすごく簡単に説明すると、LOONAのストーリーは、お互いに別々の世界で暮らす運命である少女たちが、これらの原理に基づいて、繰り返されるメビウスの輪を破ることではじめて出会うという話なんである。
この前提をまず念頭に置いて頂いて、次にそれぞれの少女たちの役割とストーリーの基本的なところを話していきたいと思う。
2.最初のユニット "LOONA1/3"
LOONA最初のユニットであるLOONA1/3はヒジン/ヒョンジン/ハスルの3人と、もう1人の新メンバービビ、更そしてに既に公開されているが、ユニット活動に参加していない(/を表す)ヨジンからなり、2017年3月31日にタイトル曲「Love & Live」でデビューした。
+ 活動には参加していない末っ子ヨジンバブ!
1/3のメンバーは、地球で暮らす平凡な少女たちとして、それぞれの方法で愛を語る。
他のユニットに比べて、MVの内容は比較的理解しやすい方だ。ヒジンは『不思議の国のアリス』、ヨジンは『カエルの王子様』という風に、全てのMVが童話や映画、漫画などのオマージュとなっているため、ストーリーも分かりやすい。
愛をモチーフにした平凡な彼女たちの悩みは、LOONAの世界観を理解するにあたって、それほど重要でないとも言える。実際、1/3のMVでは、LOONAの世界観についてはそんなに語られない。そのため、この時点ではLOONAverseの構想はまだ固まっていなかったのではという説もちらほら。
しかし、彼女たちは世界観の中で実はかなり重要な役割を担っている。
"우리의 목표는 음원 차트 1위가 아니라 이달의 소녀라는 세계관을 넓혀나가는 것!" '이달의 소녀 1/3'은 단순한 유닛이라기 보다 '이달의 소녀'라는 세계관을 대중들에게 처음 선보이는 선발대의 역할을 부여받고 2017년 3월. 앨범 [Love&Live]를 완성했다.
"わたしたちの目標は音源チャート1位ではなくLOONAという世界観を広げること!" (中略) 'LOONA1/3'は単純なユニットというよりも'LOONA'という世界観を大衆に初めて披露する選抜隊の役割を付与され、2017年3月、アルバム[Love&Live]を完成させた([Love & Live]アルバム紹介より)。
LOONAの世界観を世界に知らせ、その土台をしっかりと固めることである。LOONAとしてのはじまりを大衆に披露するということが、1/3が担う一番重要な役割だと。
そして1/3に関してもうひとつ重要なのが、「日常」である。1/3の世界観の中で「日常」は需要な位置を占めていると考えられる*1。1/3は楽曲のMVが多いことも特徴の一つであるが、カップリングとして収録されている「
youtu.beタイトル曲「Love&Live」のNGカット集のようである
また、<Cinema Theory : Up&Line>にて公開されたVIVI: Letter to Hongkong (ViViが香港に送る手紙)(これ初見まじで怖いので気を付けてください)では、ViViが韓国でアイドル生活を送る様子を香港にいる両親に向けて話すブイログのような映像の中で、突然「以前の記憶も少しずつ戻ってきたような気がするし…」などと意味深な台詞が入り、映像がただのブイログではなくLOONAの世界観の一部であったことに気づかされる。このように、1/3では日常と世界観の境目がぼんやりしていて、はっきりと区別がなされていないのである。
同じように、アイドルとしての彼女たちと、LOONAの世界の中の彼女たちもある程度リンクしている*2。
世界観と日常、そしてアイドルとしての舞台上の彼女たちの姿が様々に混じった、LOONAの中で一番解釈の難しい1/3。メンバーそれぞれのMVの解釈も様々であるが、現時点でほぼ確定的になっている情報を中心にまとめていきたい。
①ヒジン「ViViD」
2016年9月25日、LOONA1番目の少女として公開された。大衆に披露する最初の少女として、ヒジンのMVではLOONAの世界観の全体像を紹介する(※ヒジンのMVはDigipediによるものではないため、LOONAの世界観の文脈で解釈すべきではないとの意見もある)。
MVは白黒の世界から始まり、家の主人と見られる女性がヒジンに部屋の掃除を頼む。つまらない日常に飽きたヒジンは、カラフルで楽しい妄想の世界を夢見るようになる。ここだけ見ると一見継母に虐められるシンデレラの話のようであるが、MV全体は『不思議の国のアリス』をモチーフとする。アリスの文脈に沿うようにして、MV内のヒジンが妄想の中でLOONAの世界を訪れる、という形でLOONAverseは世界に初めてお披露目される。
▼시하월様による「ViViD」MV解釈。MVに登場する各部屋はLOONAの世界観(=エデン、地球、中間世界)であり、MV全体でLOONAの世界観そのものを説明しているとする。m.blog.naver.com
「ViViD」のMVにLOONAverseに関連する世界観が込められているかどうかはさておき、「ViViD」は1/3の特徴である ①童話や映画のオマージュであること、➁世界観が限りなく日常に近いということ(Acoustic Mix)を満たすことで、1/3の特質を世界に披露したといえる。「LOONAという世界観を広げること」を目的とする1/3の最初の少女として、ヒジンはその土台を敷く役割をした。
※ViViDの歌詞「많은 색깔로 채워줘 빨주노초(たくさんの色で塗って 赤橙黄緑)」に関して、それぞれの担当色を持つメンバーをヒジンが作ったと考える説が主に韓国外で多く見られる。この説は、ヒジンがLOONAverseの創造主であり、他のメンバーはヒジンによって作られ、それに反発するオリビアヘがビビを殺し… というように進んで行くが、これらの解釈は、LOONAverseのストーリーだけを重視するあまり、LOONAがMVを通して伝えるメッセージ性とは大きくかけ離れることとなるため、当記事ではこの後も扱わない。
➁ヒョンジン「다녀가요」
2016年10月28日、LOONA2番目の少女として公開された。ヒョンジンのMVは、本筋のストーリーの中に世界観を構築する要素が入り混じっており、LOONAのMVの中でも解釈が極めて難しいものである。
まず、MVの本筋であるストーリーは、松たか子主演の邦画『四月物語』(1988)のオマージュとして知られる。『主人公が片思いをしている相手に想いを伝えられず思い悩む、というように『四月物語』と同じように展開するMVの内容は、「말없이 또 다녀가요(言葉をかけることもなく、また通り過ぎます)」という歌詞とも一致している。日常に退屈していたヒジンと同じように、ヒョンジンも現実に対して些細な悩みを抱えている。繰り返される日常に対する悩み、これが1/3のMVのストーリーに共通するテーマでもある。
ところが、「다녀가요」のMVには、本筋とは何ら関係ない、LOONAverseを構築するためだけの要素がところどころ入り混じっている。例えば、MVの中でヒョンジンが見つけたブレスレットは、チュウとゴウォンが作ったものだということが後に明かされた*3。
- ブレスレットと、それを見つけてほほ笑むヒョンジン。右はゴウォンがブレスレットを作る様子。
このブレスレットに関しては、様々に推測されるが、ブレスレットを見つけた後のヒョンジンが黄色のニットから紺のワンピースへと変わったことから、ヒョンジンは元々OECに属していたが、ゴウォンたちにより地球へ墜落した、などとするのが現在の一般的な解釈である。
ヒョンジンは、特に黄色の補色である紫を象徴色に持つことから、チェリとの関連性は指摘されるが、ここではヒョンジンはOECとの関連が深いという程度に留めておく。
③ハスル「소년,소녀」
2016年12月8日、LOONA3番目の少女として公開された。ハスルのMV「소년,소녀」は、LOONA全体のストーリーの鍵となる「アイデンティティの模索」が初めて主題として扱われた作品となった。
MVの中で、ハスルは少年の姿として、また少女の姿として表れる。これらは、中性的な魅力を持つハスルが、自我を模索する過程で生まれたふたつの人格であると理解できる。しかし、MV終盤、少女ハスルは少年ハスルを打って殺してしまう。
この場面について、解釈は主に二つに分かれる。
1. 少女ハスルが少年ハスルを殺すことにより、ハスルは本当の自分(=少女としての姿)を見つけることができた。すなわち「소년,소녀」のMVは、ハスルがアイデンティティを確立するまでの過程を表したものである。
▼HRJJ様の「소년,소녀」MV解釈。LOONAverseにおけるアイデンティティの模索、そして本当の自分を見つけ"覚醒"に至るまでの過程を人類学での「입사식(=イニシエーション、通過儀礼)」と捉える。
2. アイデンティティを確立することとは、多様な面を持った「複数の自分」の姿を認めることである。少女ハスルが少年ハスルを殺すことにより、ハスルは本当の自分に出会えなくなってしまった*4。
‘하슬’은 짧은 금발의 톰보이 컨셉과 긴 머리의 소녀 컨셉을 밤과 낮에 걸쳐 공개하며 ‘이달의 소녀’를 기대하는 팬들의 눈길을 한 번에 끌었다. 소녀의 느낌과 소년의 느낌이 한꺼번에 공존하는 매력을 지닌 ‘하슬’은 자신의 첫 싱글 ‘소년, 소녀’를 통해 그 음악과 비주얼을 극대화했다.
"ハスル"は短い金髪のトムボーイコンセプトと長い髪の少女のコンセプトを、夜と昼にかけて公開し、"今月の少女"を期待するファンの目を一気に惹きつけた。少女らしさと少年らしさを同時に共存させる魅力を持つ"ハスル"は自身の初シングル「少年、少女」を通してその音楽とビジュアルを極大化させた(「Haseul」アルバム紹介より)。
本来少年と少女、どちらの魅力も持つはずのハスルが、自身の持つ少年らしい面を自ら殺してしまった。
「Butterfly」のティザー映像である "XIIX"では、後述するゴウォンというメンバーが必死に車を追いかけて走る姿が描かれる。この映像が撮影された場所が「소년,소녀」と同じくアイスランドであること、また映像のところどころに羽根やドリームキャッチャーといった、「소년,소녀」を思わせるモチーフが多々登場することから、このふたつの映像の関連性については指摘されてきた。
少女ハスルが少年ハスルを殺し、ハスルは本当の自分の姿を見つけることができなかった。この「間違い」によって生み出される未来が、ゴウォンの望まない未来であったとしたら?望まない未来を修正するために、ゴウォンが過去に戻ってハスルの乗った車を追いかけていたとしたら?
- ハスルのティザー写真。1枚目が夜を表す少年のハスル、2枚目が昼を表す少女のハスル。少女ハスルが少年ハスルを殺し、ヒジンとヒョンジンと出会った後の「The Carol」では、舞台が夜なのにもかかわらず、ハスルは少女の姿で現れる。
④ヨジン「키스는 다음에」
2017年1月4日、LOONA4番目の少女として公開された。LOONAの世界観の中でヨジンは一貫して「夢見る少女」である。彼女のMVは、彼女の妄想の中の3人の王子様が彼女に求婚する場面から始まる。しかし現実にいるのは、彼女の夢見る王子様とは程遠い、カエルの容姿をした王子様。現実を受け入れられず、逃げ惑ったあげく彼女は森で迷ってしまう。
ヨジンの象徴動物であるカエルにも秘密がある。4番目の少女のティザー写真にはテディベアと共に公開され、その後のティザー映像などでもテディベアが登場したため、4番目の少女の象徴動物はテディベアだと思われた。しかし、デビュー直前に公式ツイッターにて、テディベアの正体は魔法でクマに化けたカエルであることが明らかにされた(…)。
"곰돌이인 척해 봤지만, 사실 저는 개구리였어요 뮤직비디오를 확인해 주시고 꼭 제 마법을 풀어주세요!"
ティディベアのふりをしてみたけど、実は僕はカエルでした (中略) MVを確認して僕の魔法を解いてください!
(左)ヨジン公開前のティザー (右)ヨジンのアルバムティザー(背景に沢山のカエル(…))
▼1oonatic様による「키스는 다음에」のMV解釈。MV中に登場する3人の王子様それぞれを1/3、OEC、yyxyユニットと捉える説(王子の持ち物:ラクダと箱=1/3、靴=OEC、花束=yyxy)。ヨジンは迷わず靴を選ぶが、カエルの王子様は彼女に箱を押し付けようとする描写がある(=1/3に属さざるをえない現実を受け入れられず、逃げた先の森の中で迷ってしまう)。夢の中で目が覚め、それもまた夢であり…という無限ループはメビウス(=LOONAの世界観そのもの)を表すとする。
⑤ビビ「Everyday I Love You」
2017年2月13日、LOONA5番目の少女として公開された。ビビは、1/3の中では比較的世界観中の立ち位置が明らかになっている方である。
LOONAのMVを担当するDigipediのディレクター、문석호監督のインスタグラムに、MV中のビビについての記述がある。
1. '지금, 좋아해' 뮤직비디오는 안드로이드 비비 자신의 정체성과 사랑에 관한 이야기이다. 달리기 후 숨을 몰아 쉬며 힘들어하는 다른 소녀들을 보며 비비는 생각한다. '나는 왜 친구들처럼 힘들어하지 않을까? 왜 심장이 더 빨리 뛰지 않을까? 나도 가슴이 두근두근하고싶다.' 가슴이 뛸 때까지 달리고 달리던 비비는 결국 낯선 길 한 가운데 멈춰 선다.
2. 'Everyday I Love You' 뮤직비디오의 이야기는 비비가 안드로이드로 개조되기 전, 인간 시절 비비의 기억을 복원해 만들어졌다.
3. 네 번째가 아닌 다섯 번째. 탈색한 머리. 빛나는 왼쪽 눈. 초원을 달리는.
既によく知られた内容ではあるが、今一度要約すると、以下のような内容となる。
①ビビはアンドロイドという設定である ➁「Love & Live」ではビビのアイデンティティに関する話が語られる ③ビビのソロデビュー曲「Everyday I Love You」はビビがアンドロイドになる前の、人間時代の記憶を復元して作られたものだ
ビビがアンドロイドであるという設定は、LOONAの生みの親・Jaden Jeong氏も言及する*5。
アルバム「ViVi」に収録されるカップリング曲「Everyday I Need You」では、ジンソルがFeaturingとして(月毎に少女を公開するLOONAとしてはかなり異例な形で)公開された。ジンソルとビビの関係性については、後述することとする。
…と、ここまで書いて、本当はLOONA Hi Highまで書きたかったのですが、思いの外長くなってしまったので、これ以降のメンバーは次回に回したいと思います。途中ですが…
3. おわりに
LOONAのプロジェクトが始まってから約5年、彼女たちが繰り広げる膨大な世界観についていつか何かしらの形で取り扱うことができたら、と思っていました。そんなこんなで、1年半前に作ったメンバー紹介の動画の続編として、世界観についても解説動画を出すことになったのですが、動画として盛り込める内容量には限界があるため、動画の補足として本記事を書き始めました。書き始めた時はそれほどでもなかったのに、今では本当の意味で「今更」になってしまい…。公開するかどうか随分悩みましたが、少しでもLOONA布教のための助けになればと… おこがましい願いをこめて公開します。
LOONAちゃんに幸あれ… 愛をこめて。
あと文章が本当に読みにくくてすみません。精進します。
ボンの過去セルカをまとめる
音楽番組もろくに追えていないのにボンの過去セルカのツーショ回数をメンバー別で知りたくて仕方なくなってしまい(またそれ)簡単にまとめてみたい 勿論ツーショの頻度=仲の良さではないと思うし回数を数えることに大した意味はないかもしれないけどまだ見ぬツーショを掘り起こせる可能性もあるので 何でボンだけ?という話なんだけどそれはなぜならわたしがボンのオタクだから 全然時間をかけてないので違ったらすみません
ルール
〇基本ツーショのみ 3人以上は含まない
〇自撮り他撮りどちらも含む カメラ目線じゃなかったとしても撮る側に映す意思がありそうなものは含む
〇動画は数に含まない けど可愛いから貼る
〇たとえ昔の写真でも投稿された日付で集計、投稿数ではなく枚数でカウント
〇とりあえずハイニス(+それ以前は公式垢)、インスタ、오픽셜(に関しては明らかにメンバーが自分の意志で撮っただろうと思われる、セルカツーショのみ)からカウント 他にもあるだろうけど(音楽番組とかカペとか)遡るのが面倒だったり転載していいか微妙なものは今回はパス
TOP5 ~2020年7月15日時点~
1.テグさん (25枚)
2017 3枚 / 2018 17枚 / 2019 1枚 / 2020 4枚
冷静に2018~2019の間で何があったのか知りたい
旧チング現ルムメズ、2人で一緒にブイライブしたり食事したりレスリングしたり(?)活動内外問わずとても仲の良いイメージ。ボンの言う「自分は人間関係においていじり役なんですが(雑誌インタビューで言ってた)」をずっと意外に思っていたんだけどテグさんと一緒にいるのを見ているとなんとなくわかる気がする。
ゴルチャの雰囲気がいいのはヒョンラインの布陣が良いからだと今まで色んなところで言ってきたけど(それはそう)、中間管理職98、特にテグさんが威張らず適当な具合にヒョンをしてくれているので99ズが常時ワチャワチャしていても上手いことまとまるんだなとおもう
2人がヒョンと弟ではなくチング同士だった時の思い出の写真なんかもある つよい
好き動画貼る
#TAG 부담스러워!! pic.twitter.com/kwAfHg2CYJ
— GOLDEN CHILD (@Hi_Goldenness) 2019年8月6日
[#Golden_Child] [#TAG] 콜라 마시는 비숑 pic.twitter.com/XfG3Is13af
— GoldenChild (골든차일드) (@GoldenChild) 2018年5月25日
色々書いちゃったけどメンバーの関係性についてはまた今度(いつか)別の記事で語りたいので今回はパス 以下 本当にデータだけ
2.スンミン/チャンジュン/ボミン (16枚)
かわいすぎてダメ
2017 2枚 / 2018 7枚 / 2019 4枚 / 2020 3枚
スンボンちゃんは動画がかなり多いイメージ
2017 2枚 / 2018 3枚 / 2019 6枚 / 2020 5枚
#장준 잉???바봉재현ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ pic.twitter.com/Z5Sn9DUY8j
— GOLDEN CHILD (@Hi_Goldenness) 2019年9月4日
2017 2枚 / 2018 9枚 / 2019 5枚 / 2020 0枚
3.ワイくん (12枚)
2017 0枚 / 2018 5枚 / 2019 7枚 / 2020 0枚
デヨルさん 4枚 2017 0枚 / 2018 1枚 / 2019 3枚 / 2020 0枚
ジボム 6枚 2017 0枚 / 2018 0枚 / 2019 4枚 / 2020 2枚
ドンヒョン 8枚 2017 1枚 / 2018 4枚 / 2019 1枚 / 2020 2枚
ジュチャン 5枚 2017 3枚 / 2018 2枚 / 2019 0枚 / 2020 0枚
ボンジ 8枚 2017 0枚 / 2018 5枚 / 2019 2枚 / 2020 1枚
ボング 3枚 2017 0枚 / 2018 0枚 / 2019 2枚 / 2020 1枚
ウォニ 3枚 2017 0枚 / 2018 0枚 / 2019 0枚 / 2020 3枚
クク 1枚 2017 0枚 / 2018 0枚 / 2019 0枚 / 2020 1枚
#주찬 동현이의 비웃음😄 pic.twitter.com/OHT1j9bT4Z
— GOLDEN CHILD (@Hi_Goldenness) 2019年8月25日
차도남 봉재현 #take1
— GOLDEN CHILD (@Hi_Goldenness) 2018年8月24日
감독 배승민
여주 김동현 pic.twitter.com/qAK3SMT9dK
冒頭でも書いた通りツーショ枚数の多さが単純にメンバーの仲の良さに直結するわけじゃないし(ゴルチャ皆仲良い)飽くまで関係性を考えるための一つのデータとしてまとめてみた ツーショットを沢山撮る理由として一緒にいる時間が長いからというのもあるだろうし、お互い写真を撮るのが好きだからというのも有り得るだろうし そういう関係性を考えてみるのも面白いと思う またいずれメンバー間の関係性について(勿論カップリングという意味合いではなく)あれこれ書いてみたい
あと過去セルカ遡っていてボンの他撮りの多さに驚いた ツーショの時もだいたい撮ってるのはボン 撮るのも撮られるのも好きなんだろうな
画報を見ていて気になったあれこれ①Y/ボン
雑誌のインタビューが好きです。
ゴルチャくんたち、ラジオやらVLIVEやらで自由に話しているのを聞いているだけでも十分面白いんですが、活字で見るとまた違った一面が見える気がして(本人たち以外の人の言葉を経由するからかもしれないけど)、特に普段口数の少ないメンバーの心の内を知ることのできる貴重な機会なので、新米ドゥニスとして知らなかったこと、意外に思ったことをメモ代わりにここにまとめておこうかなと思います。それ常識だよということがあっても怒らないでね。
☆限りなく原文に近く、意訳を抜いて訳すよう努めているので日本語に違和感がある部分は適宜脳内補正よろしくお願いします、文体は若干変えている部分があります。
☆今回は韓国の雑誌中心(若干の韓流ぴあ)、詳しくはナムウィキの活動項目参照。
まずは
ワイくん (チェソンユン/95年生)
▶掲載雑誌:BNT(2019-03月号)、M KWAVE 54号、KWAVE X(2020-01月)など
"달리기를 좋아하는 건 아닌데 그냥 뛰어요.""승부욕이 있어서 뛸 수 있었던 것 같아요" - 走るのが好きなわけではなくて、ただ走るんです。勝負欲があるから走れたんだと思います(아뷰뷰/IZE)。"
bntのわいくん本当に………
・外見では温かさが感じられる人ではないけれど、内では情に厚い方だ(IZE)。
・冷たく見える雰囲気があると言われるので笑う練習を沢山した。
第一印象はとても重要だと思うが、誤解を沢山受けるので心配になった。無表情でいるだけなのに怒っているのかと聞いてくる人が多かったから。それに加えて直接的に話す性格だからもっとそう感じられたのだとも思う(IZE)。
・好き嫌いがはっきりしていて、何でも行動に出してみる性格だ。だからと言って考える時間が短いというわけではなく、重要な決定をしなくてはならない状況では安全に行動しようとするタイプでもある(IZE)。
・自分を動物で表現すると虎だ(DAZED)。
・(顔がウサギの相だと)沢山言葉をいただくので、鏡を見ながら1時間「僕がウサギに似ているのか」と悩んだが、前歯が似ているような気はする(IZE)。
・コメントは読まないようにしておく方だ。見たとしてもかなり時々見ることにしている。わざと見ないようにしているというより、最近は記事だけを見て通り過ぎるようだ(bnt)。
"원래 제가 성격이 되게 급해서 장거리를 잘 못 뛰어요. 그런데 좋아하고, 제가 할 수 있는 일이 이것밖에 없다는 생각이 드니까 여기까지 올 수 있었던 것 같아요." - もともと僕は性格がとてもせっかちで長距離を上手く走れないんですよ。だけど好きだから、僕ができることはこれしかないからという思いでここまで来ることが出来たんだと思います(IZE)。
・耐え抜くことが勝つことだという言葉があるが、「化石ズ」の中でも純粋に練習室にいた時間だけを合わせると僕が一番多かったと思う(IZE)。
・僕が初めてオーディションを受けた事務所でもテグと一緒のグループでデビューするはずだった。どのみち僕たち(ワイとテグ)は一緒にデビューする運命だったみたいだ(bnt)。
・(ジュチャンの「問題児」という曲をリメイクしてアルバムを出したが)聞くなり鳥肌が立つほどとても良かった。ジュチャンの声に本当によく合う曲だ。ミュージックビデオもとてもかっこよくて。実は見ながら少し驚いた。音色と感性が飛びぬけた子だが、それが曲によく滲み出た気がする(bnt)。
・人々がGoldenchildを見て「水みたいだ」という感触を受けてもらえたらいい。どんな器に入れてもその形がそのまま維持され、どんな色素を落としてもその性質は変わらないから。外の姿は変わっても心は同じように一つ。それがチームじゃないですか。
・Goldenchildが水ならば僕は牛乳のような人になりたい。黒、青、赤のように極端な色を柔らかくするから。今の僕がそんな人ではないけど、そのような調和のとれた人になりたいという願望がある(IZE)。
ボン(ボンジェヒョン/99年生)
▶掲載雑誌:Ceci(2018-7月号)、Singles(2018-9月号、2019-11月号、2020-4月号)、Marie Claire(2018-09月号)、THE STAR(2018-12月号、2019-4月号)、ARENA HOMME(2019-3月号)、INDEED Vol.2、1stlook(2020-4月号)、W Korea(2020-4月号)など
"가끔 방황도 하지만, 그럼에도 가장 아름다운 나를 만들어가기 위해 노력하는 시기가 바로 지금인 것 같아요" - 時々迷いもするけど、それでも一番美しい自分を作りあげるために努力する時期がちょうど今のような気がします(Marie Claire)。
・もともとは人見知りで大人しい方だ(THE STAR,2019-04)。
・物静かで純朴な性格だ。何事もアップダウンがなく鋭敏でない方なのでメンバーたちが緊張した時(張り詰めた)雰囲気を解く役割をしている(1stlook,2020-04)。
・そのせいで冷たく見えると言う人もいるが、案外人と交流することが好きだ。近しい人にだけ活発な一面を見せる。
・第一印象と仲良くなってからのイメージは極と極だ。練習生の時序盤はとても静かで人見知りをするのでヒョンたちがちょっと喋ってみろと言うほどだった(ARENA)。
・正直留学生活が大変で途中で整理して帰ってきたのだが、後悔はしていない。もしそうしていなければ今こうやってGoldenchild としてデビューすることはなかったはずだから(Singles,2019-11)。
・変えることができないから当然自分の顔は好きだ。その中でも目が好きだ。僕の目には善と悪が両方とも見えるという話をよくしてくださるから(1stlook,2020-04)。
"가장 자신이 있는 건 사진이다. 찍는 것 말고 찍히는 것" "전혀 다른 내가 되어보는 거니까요." "촬영하며 새로운 내 모습을 발견하는 게 재미있다." - 一番自信があるのは写真だ。撮るのではなく撮られることが。全く違う自分になってみるのだから。撮影をしながら新しい自分の姿を発見するのは面白い(ARENA/Singles,2019-11)。
・そして自信がないのはダンスだ。僕が踊るダンスは若干"文字で習いました"という感じだ。ダンスに慣れるというよりも勉強するスタイルだから振りを入れるのにも長くかかるし、他のメンバーたちに比べて自然さに欠ける。実は運動音痴だ(ARENA)。
・何につけても努力する人だ。練習生時代を思い出せば、誰よりも努力していた姿が思い出される。天才ではないが、「努力の天才」だと思う(テグさん談)。
・歌もダンスも可能な限り早く覚えようと努力し、振りを入れるのは遅い方だが一番長くきちんと覚えていられる。いつも頭の中でイメージトレーニングをしているのだと思う。練習生の時からそうだ(ワイくん談/韓流ぴあ2019-2月)。
・チームの中で一番緊張しやすいタイプだ。舞台上で足がガタガタ震えている時が多く、「そんなに緊張するな、練習していた通りやればいい」とメンバーが声をかけるほどだ。でも不思議なほどほとんど失敗をしない。一番失敗をしないメンバーかもしれない(ワイくん、ドン談/韓流ぴあ2019-2月号)。
・ダイエットをよくする方だ。ダイエットの度にご飯を全然食べないので心配になるほどだ(haruhana)。
・完璧主義者というまでではないが、自分が不足していると感じることが嫌いだ。ただひたすら懸命にするしかないようだ(Singles,2019-11)。
以上、ワイくんとボンのみまとめました。他のメンバーはいずれ(あと追加情報があれば随時)更新する予定です。ボンの言葉は日本語にするのが難しくて、原文の雰囲気がうまく伝えられなくて残念…
本当に引用を並べただけの記事ですけど、ナムウィキの情報では物足りなくなったわたしと同じような初期ドゥニスさんの参考になれば。
引用元
스포트라이트│골든차일드 Y ① “청량함과 귀여움이 붙어있으면 표현하기 어려워요.” - ize
스포트라이트│골든차일드 Y ② “버티는 게 이기는 거라는 말이 있잖아요.” - ize
[인터뷰] 골든차일드 와이&태그 “목표? 연말 시상식서 대상 받는 그룹 되고파”