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ツイッタに載せきれないあれこれ

【OnlyOneOf】Oの始まる場所:undergrOund idOl 総括

 

 考えを文章に書き起こすのが苦手で、また批判や攻撃を恐れて、何かを見聞きして受ける印象から、世間一般に共通しうるであろうものだけを拾って、極めて表面的にのみ表現する、そうやって満足していたオタク人生が、大きく変わったのが、2022年だったなと思う。より個人的で、とりとめのない感想、偶然による一時的な気づき/ひらめきを大切にし、何よりも優先して「今思ったこと」に誠実に、考えを深めてゆくことで、わたしがわたしなりの表現であらゆるものに接近する、方法をなんとなく見つける癖がついた。

 2022年、様々にあった出会いの中で、それだけ時間を費やしたために、わたしの中で一番大きく残っている、OnlyOneOfのソロシリーズ「undergrOund idOl」との出会い。OnlyOneOfと出会ってゆく中で、自分の中にぼんやりと浮かぶ感覚と意識的にかかわりながら、その予感をより現実に即した言葉に落とし込む方法を模索する一方で、自分の嗜好や性癖についても探ったりした。人間が日々成長していく中で、知識量や環境によって、その都度感じること考えることというのは変わって当然である、という、自分に対する一種の許しの中で、自由にあれこれと考えたり感じたりした、行き場のない感覚と思考の流れを、ツイッターの複数のアカウントで書き残したもののまとめとして、ここに綴っておきたい。

 

 

目次

 

 

 

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undergrOund 01 [ begin ] 

undergrOund 01 [ begin  祝福を受けられない恋人たちへ

 

 

 

ユジョンさんの演技がすごい話

 沼落ちの瞬間というのは人それぞれあって、わたしの場合はそれが、偶然ツイッターTLで出会った「begin」でのユジョンさんを知ったときだったので(当時のTLに感謝)、今のわたしにとってもかなり大切な一曲として残っている「begin」、ユジョンさんのMV中での振る舞いが、恋に煩う仕草が、熱を帯びた目線が、これまで何度か見かけた時よりずっと、特別に魅力的に見えて、これまでスルーしていたオンリーワンオブに本気で向き合わなくては… の思考に初めて(本当にようやく)辿り着くことになった。

 「begin」MV内でのユジョンさんは、徹底的に暗い。恋の始まりを描いているのに、ギュビンさんを追うその目は、恋に対する純粋なときめきよりも、もっと否定的で、焦りや戸惑い、不安、自責、後悔、様々に混じりあった複雑な感情に満ちている。概要欄にあるように、これが「祝福を受けられない」始まってはならない恋だと知っているからである。

 

当時のツイッターでのオタク(再現)。浮かれている。


 目が合って惹かれ合うふたり、自分の中に(内面的な話だけでなくもはや物理的にも)飛び込んでくるギュビンさんに、もしくは、彼に惹かれてしまっている自分に、戸惑いつつ否定しようとする。(MV中のギュビンさんについては後述するとして)それでも、ギュビンさんによって、始まってしまう恋、もう走り出したレールの上を、不安に掻き乱されたまま、このまま進んではならないと自分を抑えつけながら、またひとつ諦めてゆく。「begin」での始まりは、理性と感情の狭間で揺れ動きながら、自分を殺して生きるユジョンさんの諦めと、開き始めた未来への仄かな期待によって幕を閉じる。ひとり閉じ込められた小さな箱の中から、いつか自由に羽ばたくことができる日を信じて。

 

세상에 수많은 연인 가운데 축복받지 못한 연인들도 존재합니다. 어떤 이유로든. 종교적인 이유, 부모님의 반대 같은 것들. 그 모든 축복받지 못한 연인들에게 이 곡을 바칩니다. - 世界中、数多の恋人たちの中、様々な理由で祝福を受けられない恋人たちもまた存在する。宗教的理由で、また両親の反対でといった具合に。そのすべての祝福されない恋人たちに向けてこの曲を捧げたい。(「begin」MV概要欄コメント)

ユジョンさんの細かな表情演技によって行間を読み取って初めて、概要欄の意味がわかる仕組みになっていて、巧い

 

《余談》わたしのOnlyOneOfへの沼落ちは、beginであったからこそと思いつつ、一方で今思えば見落としていた過去のユジョンさんの素敵さも、リリース当時は拾えなくて、沼落ちは本当にただ運とタイミングだな~と最近よく思う。接したときの自分の状況によって、本当の意味で「出会い」に至らないこともある。わたし自身の内向的な性格も禍して、オタクをしながら年々「出会い」に至る確率がどんどん落ちている気がしていて悲しい。何か新しいことを知るにはそれ相応の体力が必要である。

 

 

「自由」に駆られるユジョンさんが魅力的すぎる

 ユジョンさんを少しの間見てきて思うこととして、「自由」というワードが似合いすぎる、というのが(とても勝手に)あったりする。もちろん自分勝手で傲慢で協調性がない… といった意味ではなく、性格よりもむしろ、彼自身の生まれ持った属性というか、うまく言えないのだけど、体格や顔つき、声、それらの「器」と、そこから生み出される全ての「パフォーマンス」に対して、自由さを感じる(おそらく外見から受ける印象の話)(全部ヌッキムの話やめて)。演技をしている時の彼は勿論のこと、踊っている時の姿が特段魅力的に見えて、機会あってわたしが10月に直接彼らの舞台上での姿を見たときに、手足いっぱいに踊る彼の踊りが、あまりにも「自由」「開放」すぎて泣いてしまった(重症)、記憶が今でも脳に染み付いて強く残っている。

これはナインくんの「きらり」カバーで自作の振りを踊るユジョンさんにおしまいになった時のツイート

▼ユジョンさん振り付けによる「きらり」間奏部みてほしい

 

 余談ですが、わたし(ISFP)が大切にしている価値観としてかなり上位にくるのが「自由」という言葉だったりして、「自由」という言葉自体に対するときめきがかなり強くあるのだけど、同じようにISFP性向を持つ人(及び心理機能Se保持者)の多くは共感するんじゃないだろうか。(最近になってISFPを自称している)ユジョンさんが実際のところどう考えているかは知りようがないにしても、「自由」という言葉が特段に似合う人であって、それによって更に魅力的に見えている人だな、と勝手に思ったりするし、だからこそ「begin」MV内で絶望しながらも頻りに自由を渇望するユジョンさんの役が、わたしの中でしっくりと結びつくから、公開から半年以上経っても、未だにこのMVが好きなのかもしれない。

 angelとblOssOmを踊るユジョンさんがとても好き。ダンスと恋に落ちた人の踊りだなと思う。着飾りすぎない楽な服装で軽く踊ってみせるユジョンさんが好き。ライブで見たAttentionのカバーも異様なほど良かった。ユジョンさんがNewJeansでカムバしてほしい。

 

youtu.be

 

 

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undergrOund 02 [ be free ]

undergrOund 02 [ be free 君の目の中に僕が映るとき

 

상처 받을까봐 고백하지 못하고 망설였던 순간들. 상처 받더라도 말하자. 깨지고 아픔이 있더라도 부딪쳐보자. 우리. - 傷つくのが怖くて思いを伝えられず躊躇していた瞬間たち。たとえ傷ついたとしても、当たって砕けた傷が痛かったとしてもぶつかってみよう。僕たち。(「be free」MV概要欄コメント)

 

 

ギュビンさんがあまりにも自由すぎる件について

 なんだか、「begin」で思っていたよりもずっと、ふたりの始まり方に説得力があって、しかもギュビンさんの描かれ方がかなりリアルに見えている感じも、ユジョンさんを手に入れるまでの、意図的に段階を踏んだ狡猾さも、生々しく迫ってくる感じがあり、くらくらしてしまう。「begin」から「be free」の流れにおいて、始め方がわからないユジョンさんを自由へと導く存在がギュビンさんであるのだと思うけど、ユジョンさんの物語の暗さを知っているために、ギュビンさんのあまりの奔放さに面食らう。

上に貼った劇中ふざけ倒しているギュビンさん参照

 

 ちなみにわたしは ナインくんの解釈したbe free の方が好きだったりした。ナインくん(の曲であったとしたらもはや「be free」ではないのかもしれない)によるより純真な聞こえの「be free」、ナインくんが歌うことによって眼差す側とその対象がより明確に見えてくる感じがして面白い

 

 

ユニット:ギュビン×ユジョンに関して

 実写BLに対して常に思っているのが「説得されたい」のオタクなので、関係性をどう作りこんでくるかを楽しみにBLを見ていたりするのだけど映像内のギュビン×ユジョンに関しては、というか、これはオンリーワンオブのユニット全体に思っていることだけど、とてもよく組まれた組み合わせに、本人たちのカラーが結果的に助ける形になっていて、アイドルがチームのままBLをやるということは、こういうことなんだな… と思った、わたし(含む多くのやおい人)の中で決して相容れない、二次創作的な関係性の捉え方(RPS)と、BLドラマ的な要素が、別々に存在したまま意識内で互いに相関していく感じがあって、面白い。

 

ユジョンさんISFP説が浮上する中で、Ne-Si共感の話が成りたたなくなってしまったけど、当時のこの感覚は今でも理解できたりする。そういや年始のコンテンツ환승멤버でユジョンさんがギュビンさんのT性向の話をしていて面白かった。メンバーのMBTIについてもいつか考えたい…

 

《余談》当時はTi-FeとFi-Teの線で話しているけど、オンオブのカップリングに関してかなり雑に言うと「軸の強い人」と「軸の弱い人」がそれぞれ噛み合う形でうまく支え合っている、感じがする(ギュビン-ユジョン/ジュンジ-リエ/ミル-ナイン)。これはキャラ消費のための「側」(見てくれ)の話ですが、ギュビンさんはとても面白い人だけど、ただ単にサービス精神のみで動けるような優しさを感じなくて、きっととても冷たい目をしてる時があって、脳の深い所で、論理が身体を突き動かしているから、いざという時、他人を捨てることに対して、何の問題もないんだろうなとさえ思ったりする(あくまでそう見えるというだけのキャラクター属性の話、実際の本人とは関わりがありません)。

 

 アイドルがBLをやるということに関して、わたし自身少なからず違和感があったので、自分の中で納得いく形に落とし込めるまで、去年下半期まるまるかけて、嫌というほど考えたけど、彼らがどう割り切ってBLをやるか、ということは(考えたけどオタクが考えてわかるものでもないので)今一旦置いておいて、オタクによって様々な受け取られ方をされていることについて、アイドルというジャンルでこれをやることの厳しさを感じつつも、単純に、まだ誰もやってこなかった新しさに対するときめきと期待と、それによって生まれるあれこれの効果が新鮮に感じられて、どちらかというと今は面白がらせてもらっている。セックス示唆はどうかと思ってしまうけど…

 

 

youtu.be

 

 

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undergrOund 03 [ be mine ] 

undergrOund 03 [ be mine  僕の好きなように君を作り出しても

 

내 감정을 자꾸 가라앉히려 해도 점점 수면 위로 떠올라. 감정의 대류 현상. Can I ruin you? 널 망쳐도 돼? 내 손 가는 대로 할래 - 沈めようとしてもしきりに少しずつ水面へと上がってゆく僕の感情。まるで対流現象のように。君をめちゃくちゃに壊してもいいかな。僕の手が赴くままに。(「be mine」MV/Teaser概要欄コメント)

 

 

「対象」として描かれるリエさん

 

リエさんの中に幻想を見すぎの時のツイート

 

 MVリアクションにおいて明かされた話、MV中カフェで一目惚れをしてしまったジュンジが、店から出てゆくリエさんの後を追って叫んだ「僕たちまた会えるでしょうか?」の台詞、用意されていたリエさんの返しは「(微笑しながら耳元で)また会おうね」だったらしい。おしまいすぎ…  知識/経験として誰の辞書にもある「年上の悪い恋人との危ない初恋」すぎる… そもそもの話、一般人学生であったリエさんに、日本で女性名として使われる「リエ」という名前を付けている時点でお察しなのだけど、楽園savannaでの「一緒に穢れて思う存分酔いしれても良い」を経てsageでの「罪を赦してどうか僕を救って」のようなリエさんのパートやら、これまでなんとなくの予感としてあった、チームにおけるリエさんの役割と、制作側がリエさんに投影する癖が、今回ようやく分かりやすく浮き彫りになっていてあまりにもおしまい(ここまで一息)。撮る側も観る側も(もしかすると演る側も)、リエという人物に幻想を見ている。

 

 アイドルグループにおける映像作品は、職業俳優の演じるそれと違って、アイドルという前提ありきのものであるから、当然描かれるものも、ストーリー背景より個々のアイドルのキャラクター性を魅力的に描くことに焦点を当てたものになる(だからこそ、アイドルがBLをやることの危うさと、同時に面白さがある)。そしてその本質は、彼らの生まれ持った容姿/性向を活かしつつより拡張して魅力的に見せる作業にあり、オンリーワンオブもその例に洩れない。

 それを踏まえて、リエさんがsavannaから続く善悪シリーズ等で題材の核となるパートを担っていたり、「undergrOund idOl」にて本人の表向きの性格とはかけ離れた役柄を充てられていたりするのは、リエさん自身の立ち位置や容姿(前述したところの「器」)が作用しているのは勿論(器自体がオンオブの目指すカラーと合っている)、そもそもリエさん自体味付けがされやすい人だったりする(※主観)のも関係があるかもしれないなと思ったりする。ダンスパフォーマンスに関してアイドルオタクが「憑依型」と形容したりするように、運営の想定に対するリエさんの再現度の高さが評価されている。充てられた役に模倣/擬態/没入/化身してゆく手続きの流れを上手くできるタイプの人(演技の上手下手とはまた別軸の話)、そもそも、リエさんの人格がリエさんの中でかなり自然に分化していて、本人がそうあることに全く不都合がなく、脳内である程度整理がついているというのは、リエさんがISFPであることも少なからず影響しているような気もする。ジュンジの話しなよ…

 

ユニット活動が深まるほどラブさんの不在が今更惜しく思えてくるオタク

 リエさんとはまた別のアプローチでオンオブのカラー構築に貢献していたラブさん… 元気であってほしい

 

 

ようやくart pOp remixが見えてくる

 収録曲としてユジョンさんの「begin」から一曲ずつ公開されていた既存曲の「art pOp remix」にシリーズ3作目にしてようやく目が向き始める。正直に言うと全然真面目に聞いてなかったので「be mine」収録のremix版cOyを聴いてかなり衝撃を受ける。


▼「궁금해 너의 cottage」で鳴るギター音が好き

open.spotify.com

 

 cOyはそもそもジュンジ・リエのふたりがユニットとして作詞作曲に携わっている曲で、原曲のギターサウンド自体もジュンジ(だけかどうか知らない)考案のものだという話がビハインドで語られている。普通、Remixというと、原曲で録音された音声トラックを調整したり新たに音を加えたりすること、だと理解していたのだけど、art pOp remixでは音部分の編集はもちろんボーカル部分を録音し直していて、歌い回しまで細かく変化していたりする。

 OnlyOneOfというチームに関して、今わたしがとてもありがたいと思うことのひとつとして、メンバーと曲との間の距離感が、かなり自然なところにある、というのがある。音楽PDとの距離が近くて、ほぼ並列のパワーバランスで作詞作曲に関わっていたり、同じように振り付けに関わっていたりする。何よりそれが話題性のためでなく、曲を売るためでもない、限りなく無理のない形で、メンバーが表現に携わっている気がして、それがかなり嬉しい。一度録音した後に時を経て再び同じ歌を録音する行為、その歌を歌い重ねながら感じたこと、変わっていったそれぞれの歌への考え想い感性等を籠めた自解釈(※かどうかは知らない)を記録し残す機会を設けること、音楽と、それを歌う人たちに対して、あまりにも誠実でちょっと泣いてしまう。

 

 

 そもそもわたしはオンオブにおけるart pOpの具体的な実像をなんとなくでしか理解していないので、今後もう少し深めていきたいなと思ってはいます… (art pOpをOnlyOneOfの音楽全曲に共通する概念だと思っていたのだけど、この記事を書くにあたって一つずつ曲紹介を読むうちに、もっと明確な定義のあるものかもしれないと気づいた、はっきりと記載のあるpicassO/designer/byredOあたりを中心に帰納的に見ていくとそれらに共通する粒立った音遣いが見えてくる感じもあり……)

 

youtu.be

あと全然書かなかかったけどジュンジ先生歌唱が相当好…… 声の線というか輪郭がすごいあの… 綺麗で……

 

 

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undergrOund 04 [ because ] 

undergrOund 04 [ because 君が僕に、僕が君になれたなら

 

 

 

おしまい

 おしまいすぎてツイートが殆ど残っていないため当時の感想を思い出せない。同シリーズの中では現時点で一番再生回数が伸びきっていないのに、一番しっかり画で殴ってくるので未だに直視できない。内容としては別れを描いているのに歌詞ではふたりの永遠を願っていて軽率に大泣きの人になってしまう。この後の「beat」もですが、MVと歌詞の間に距離のある曲が好きで、幅があればあるほど曲が立体的に見えて、その距離の深みに思いを馳せる時間が、結構気に入っている(So!YoON!先輩の「Wings」も同じ理由で好き)。

 

特技:過没入のオタク

 劇中リエとアイドルリエがぐちゃぐちゃになってしまいこれ以上何も言うまい…………… になる。今やリエ×ジュンジ(順不同!)のカップリングが最愛のオタク、because及びリエジュンジをきちんと消化するまで約2か月かかっているのだけど、未だにMVビハインド(MVは再生回数少ないのにビハインドは一番見られている)を見返しながら新鮮に狂って画面を壊したりする。リエジュンジに限らず他のユニットに関しても、劇中での姿と絶妙に遠く、また絶妙に近いせいで、それらを結びつけてアイドル人格にないものを見ようとしたりするので良くない、それぞれのキャラクターが、彼らのアイドル人格の延長にありそうで無い、この曖昧な感じにくらくらする。アイドルの内面の部分を描いた「undergrOund idOl」、アイドルの「陽」と「陰」、別軸に生きるもうひとりの自分……

 

 

be mineとbecauseの描くところ:愛の形態、行き先

 

「別れ」をやることで、BLドラマの夢物語から外れて、現実に十分起こりうる普遍的な話のように感じられて嬉しかった。消費活動のために用意されたドラマではない。

 電話ボックスと同じく「undergrOund idOl」に共通して登場するアトリビュート(#5#6では登場せず)として、折り鶴がある。

 

(左:begin/be free 右:be mine/because)

 韓国では恋人に愛の深さを示すために使われるものだったり、MV中に頻繁に彼らが二羽の鶴を眺めていたりするので、「undergrOund idOl」シリーズでの折り鶴は恋人を象徴する意味で捉えられるかもしれない。翼を持って自由に飛び立てる(資格のある)鶴は、「begin」において電話ボックスに閉じ籠りながら自由を渇望するユジョンさんと対称的に見えたりもする。

 「undergrOund idOl」に対して、体感で言うと(適切な表現が見つからないので便宜上)劇場版オンリーワンオブの1期、2期、3期、と続いていく構成的な「層」を感じる。「begin」のユジョンさんが大切に織った色のない一羽の鶴が、ギュビンさんと出会って二羽になり、「be mine」「because」では色とりどり数えきれないほどまでなっていて、これらを自由を願う恋人たちと重ねて考えたときに、段階的な時間の層が見えてきて泣いてしまう。ユジョンギュビンの前提があるからリエジュンジの物語があり、その他無数の恋人たちの物語があり、地道に積み重ねてゆくことでしか変わっていかない「当たり前」を書き換える第一歩が、時間の層によって、少しずつでも変化してゆく、これからの可能性を描いてくれている。

《余談》#1#2のギュビンユジョンが#3#4で登場するように、#5#6でもメンバーが出演しているのだけど、そのほとんどにおいて、脇役に徹しているというか、徹底して描かれるふたりの「背景」になることによって、世界軸がはっきりと分離されて、それぞれの物語には関連がないことが示されているような気がして、この点でも時間の層を感じたりする。

 

 

사랑은 꼭 하나의 형태가 아니라고 믿습니다. 부모님과 우리가 느끼는 감정. 우리가 고양이나 강아지에게 느끼는 감정. 또 세상에 수많은 감정과 상처. 사랑은 꼭 하나의 형태가 아니라고 믿습니다. - 愛は、必ずしも一つの形態であるわけではないと信じます。両親と僕たちが感じているその感情。また、僕たちが猫や犬に対して抱く感情。そして世界に多く存在する感情とそれによって生じる傷。愛は、いつも一つの形態に留まるわけではないと信じています。(「because」MV概要欄コメント)

 「I don't believe there needs to be just one form of love」、「信じています」が優しくて泣いてしまう。beginからの流れがあり、その様々な形態によって否定されてきたあらゆる愛の歴史を無視することなく汲みつつやさしい確信で肯定的に寄り添ってくれる、薄っぺらい共感と断定よりも、より個人的でちっぽけで不確定な、確信と願いによってのみ、救われる場合もある。 暗さを、暗いまま映し出すやさしさがあって、人によっては、むしろその方が救われる場合もある。

 

 

youtu.be

 

 

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undergrOund 05 [ beat ] 

undergrOund 05 [ beat   君を見たその瞬間に感じた

 

 

blOOmとbeat:強烈な「生」の実感

 

 

심장이 뛰고 있는데 우린 그걸 잘 인식하지는 못해. 아주 가끔 손을 대보면 느껴지긴 해도. 평소에 누가 심장 소리를 들으면서 살고 있겠어. 근데 너를 보던 순간 진짜 느껴졌어. - 心臓が跳ねているのを認識して生きたりはしない。気まぐれに胸に手を当てたときに実感する程度であって、誰も普段から自分の心臓の音を聞いてはいない。それなのに、君を見た瞬間本当に感じたんだ。(beat概要欄コメント)

 5番目のミルくんソロの主題である「beat」=鼓動についてオンオブで過去に歌われたのがblOOmだったりする。

 OnlyOneOfの既存曲blOOmは、人それぞれに存在する恋の始まりの瞬間を、誕生花が開花してゆく様子で表現した曲で、冒頭ナインくんによる歌い出し「네 귀에 들릴 것 같이 심장이 빨리 뛰었지 그때 / 君の耳に聞こえそうなほど心臓が速く波打ったんだ その時」の部分でbeatMVの内容と呼応する。図らずも(図ったかもしれない)その部分の詞を歌うのがナインくんなのも含めて、blOOmによって予告された物語が、結果として2年経って、beatで再び動き始めるような構造になっていてしびれる。

▼Samuel Seo先生プロデュースだったりする曲ことblOOm

open.spotify.com

 art pOp remixを単なるリミックスとして通り過ぎてはいけないことにcOyでようやく気が付いたのだけど、「beat-blOOm」の繋がりに気が付きつつ、今回収録される既存曲6曲は、undergrOund idOlで描かれる主題との呼応の意味も含めた選曲だったのかもしれないと思い始めた。

 そもそもOnlyOneOfの楽曲はこれまで「savanna - desert」「dOramarr - picassO」「angel - Off angel」等羅列すればきりがないほど、裏-表もしくは前-後の連続によって対になる形をとってきていて、別時期に公開された曲同士に仕掛けがあったりする(点→線→面の過程から曲を立体的に組み立てて物語を紡ぐ)。今回のbeatに関して、ストーリー的な部分で繋がりがあるのは勿論のこと、これは勘違いだと思うけど、ブリッジ部分に若干blOOmを彷彿とさせるフレーズがあるような気もするし、undergrOund idOlの主題と結びつくことによって、(新たにbeシリーズの意味が付与されて)OnlyOneOfの本筋とはまた別の流れが見えてくる感じもとても面白いな~と思う。

 

役者としての彼らに関して:ENFJと演劇性

 先日のインタビューにて彼らが演技のレッスンを受けていると知る。そもそも「begin」ユジョンさんの目の演技で落ちているオタクだし、今後控えているBLドラマ出演の予定なんかもかなり気になっていて、役者としての彼らを見るのも「undergrOund idOl」の楽しみのうちのひとつであったりもした。

 MVビハインドを見ながら、ENFJの性向を持つ人に生まれつき備わっている演技トーン/モードがあるのかもしれない、と思うなどした。OnlyOneOfで言うと、現時点ミルくんとジュンジがENFJの結果が出ているのだけど、becauseとbeatのMVビハインドでリエ/ナインがそれぞれジュンジ/ミルの演技を褒めていて、例えばナインくんが手こずっている台詞をミルくんが一瞬でこなしたりしていたり、それぞれパフォーマンスに徹して役に没入するに難くないところが、もしかすると性向による癖があるのかもしれないと思った。「トーン/モード」と言ったのは、単に演技の上手下手というより、演技をするにあたってのなにか型みたいなもの(声/表情の出し方)をバリエーションとして持っている、ように見えた。実際ジュンジ/ミルどちらも普段から大袈裟な演劇っぽい喋りをよくやる気がする(ちなみに着想は「今すぐ使える心理学」魔王先生の記事から)

 

一方でkijul演技にかけては右に出る者なしだったりするナインくん(愛しさ)

 

 

youtu.be

 

 

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undergrOund 06 [ beyOnd ] 

undergrOund 06 [ beyOnd  僕と同じ夢を見ていて

 

 

beyOnd:Oの始まる場所

 6月から始まったOnlyOneOfの「undergrOund idOl」シリーズが、翌年の1月、新たな年のはじまりとともに、「beyOnd」によって閉じられる。「be-」で統一された6つのタイトルの中、意味があるのかないのか、大文字Oが含まれるのは「beyOnd」だけだったりする。徹底してOの前提としての「be」であった彼らの物語、ここにきて大文字Oが登場するのは、「beyOnd」がbeとOの狭間に在って、Oである彼らに繋ぐ物語だからかもしれない。

 

 曲調にもなんとなくOnlyOneOfらしさ(=もはやナインくんらしさでもある)があって、これまで「undergrOund idOl」で彼らが様々に未挑戦だったジャンルを消化してきたこと、そしてOの字を司る最終走者がナインくんの「beyOnd」であること、その構成の深みに浸かろうとしている。微睡みの中の軽快なビート音と、そこに乗るメロディのどこか救われない感じ。ナインくん自身ユラで温かさの演出のために歌唱法のディテールをかなり変えたと言っていた、確かに、温かさは感じるけれど、ナインくんが歌うからなのか、その中に危うさも感じるところが面白い。

 

 

痛みと夢の共有:僕と同じ夢を見ていて

 

 

 ミルくんのソロで、「君がいるから僕が生きている」という、生の実感の話をしていて、この時点で君//僕の境界が薄くなっているのを、今回の傷を手当するシーン(痛みの共有)を経て、#5#6で描きたかった主題がここにあるのかもしれないと思った。励ますでも慰めるでも、はたまた怒るでも恨むでもなく、ただ寄り添うことで救いを与える、そういう愛の話。ナインくんは、ミルくんがされていたのと同じように、殴られて、蹴られて、傷を負って、そうやってはじめて境界が解けて、ふたりはひとつになる、君が僕になって、僕が君になる(becauseの歌詞はもちろん、そういえば本シリーズの番外コンテンツの題でありかつInsinct Part.1収録曲であるのは「너라고 불렀지만 사실은 나(君と呼んだけど実際には僕)」だったり… ヒュウ…)

 それが本当に制作側が描きたかったかについては定かでないとしても、作り手の想定する愛、優しさの手段として、君//僕の境界を薄くすること、というのが、第一にあるのかもしれないなと思った、簡単に言ってしまうと「共感」「共有」、言い換えればそれは「君の名前で僕を呼んで」だし「君のおかげで僕は生きている」だし「同じ夢を見よう」になり、探せばもっとあるかもしれない。

プラトンの「人間球体説」… 面白…

 

 

우리의 음악이 먼 곳의 당신에게 어떻게 닿았을까요. 한국에서 만든 작은 멜로디가 세상 저편 당신에게 어떻게 닿을 수 있었을까요. 우리의 음악이 세상의 수많은 축복 받지 못한 연인들에게 위로가 되고, 힘이 될 수 있길. 우리와 같은 꿈이 되길. - 僕たちの音楽が遠くで生きるあなたにどのように届いたでしょうか。韓国で作った小さなメロディは世界の反対にいるあなたの心にどのように触れたのでしょう。僕たちの音楽が世界中にいる祝福を受けられない恋人たちの慰めとなり、力となりますように。僕たちと同じ夢を見られますように。(beyOnd概要欄コメント)

 概要欄のコメントをビョンギが書いていることをこの時初めて知るのだけど、ビョンギが「undergrOund idOl」に遺す最後のメッセージとしての「우리와 같은 꿈이 되길(同じ夢を見られますように)」が、世界中の誰もが平等に用意されていい未来について、夢を見ることさえ許されない、あらゆる対象に向けての言葉(と捉えて良いのか)だとしたら、中途半端で無責任な励ましや応援なんかより、よっぽど優しくて嬉しくて有難いなと思う。

 

《余談》これは考えすぎですが、気に入っているアイデアなので残しておくと、この場面が「begin」のオマージュだったりしたら面白いなと思う。#1の電話ボックスから始まった物語が時を経て#6の電話ボックスに辿り着く。beginでのそれは、必死に避けて隠して抑えていたユジョンさんの恋の始まりのサインであり、beyOndにおいては、傷ついて初めて「君」になれたナインくんの恋の始まりのサインであったかもしれない。解釈は自由…

 

 

懺悔:ナインくんという人について

 最後に、ナインくんのキャラクターについて、beat時点で学生設定に舞い上がってしまって、ナインくんの描かれ方について、かなり雑に見ていたのだけど、ここ数か月間色々と見ている中で、ナインくんへの視線がわたしの中でかなり変わってきているのもあり(内向的な部分を意識するようになった)、ナインくんと言う人が、これまでと若干違って見えるようになった。わたしが「痛みの共有」場面が刺さったのは恐らく、MVの中で実際のナイン像と重なって見えやすい部分がそこだったからである。一言で、しっくりきた。そこをふまえてから見返すと、beyOnd全体にその色が幽かに見える感じもして、beatよりも、ナインくんの内向性が色濃く見えるMV(とあと曲も)だなと思った。(ナインくんのインタビュー:内面に迫るほど内向を垣間見る感じがあり)

 せっかくなので歌詞にも触れておくと、byredOとの繋がりも見えるVerse2がとても好きで「この夜は僕たちを隠せない 目を覆ってもしきりに君が見える」「冷たい君の目が僕を飲み込み、眩暈がするほどの香りに僕は酔いしれる」「君が僕を見る時鼻先がむず痒いんだ」「さあ僕を見て僕の隣に横たわって僕と同じ夢を見てよ」、ナインくんが歌詞の見事さについてユラで若干触れていたけど、「僕と同じ夢を見てよ」がとても好きだった、見つめる方向を同じくすることは、君//僕の境界を薄めるための第一歩なのかもしれない。

 

《余談》歌詞中「I know nothing beyOnd this」というのが、この歌詞の中で唯一出てくる「beyOnd」で、この曲の主題を探る手掛かりだと思うのだけど、未だにしっくりくる解釈が見つからない。「痛みの共有」主題説を考える中で、前後の文脈から、「beyOnd this/ここから先」=「心に芽生えた君が大きくなり、君と僕が完全に混ざり合ってしまった世界」と捉えるなら、「beyOnd」は君//僕が君=僕となる(beがOになる)境界線かもしれない。

 

youtu.be

 

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 以上、OnlyOneOf「undergrOund idOl」とともにあったわたしの2022年のまとめ、ツイッターの投稿を文に起こしただけなのに驚くほど時間がかかった。思いつきのみでとことん内容がない過去ツイートを読み返しながら、改めて中身を補強しつつ新たに文を構築したりする中で、また全然別のイメージが浮かんできたりして、文章がどんどん客観性を失い支離滅裂のオンパレード、矛盾だらけの誰も理解できない文章になってしまった。言葉というのは、誰かに伝わって初めて意味を持つと思うので、2023年は簡潔で伝わりやすく、表現の回りくどくない文章を目指したい。適切な語彙を探しながら、文章の垢抜けを図る一年になれば嬉しい。

 そしてOnlyOneOfは2023年既に 1月ナインソロ「beyOnd」リリース→2月日本シングル「chrOme arts」活動→3月本国カムバ「seOul drift」活動に加えBLドラマ出演とUSツアーまでぎっしり予定がつまっていて、今年も思いっきり波風立てながら活動してくれていてありがたい。わたしも実生活と適度にバランスをとりつつ、波に乗っていきたいなと思います。OnlyOneOfとわたし含めオタクの皆さんのこれからに期待して。

 

※以下追記あり(3/4 更新)

 

 

 

 

 

undergrOund OOO [ seOul cOllectiOn ] 映画CMBYNの視聴を経て【追記3/4】

【追記】undergrOund OOO [ seOul cOllectiO 映画CMBYNの視聴 - 完全体カムバックを経て

 

 記事を書き終えた後で、完全体カムバックを迎える前に、どうしても通っておきたかった映画『Call Me By Your Name(邦題:君の名前で僕を呼んで)』を観た。映画を見ながら、展開と描写の美しさに見惚れつつも、この映画を意図的に引用した(であろう)OnlyOneOfのこれまでと重なって見えるところがいくつかあり、映画を見ることによって彼らのやりたかったことの輪郭がより鮮明に見えてきたりもした、その気づきの過程をここにまとめておきたい。それらが意図したものであるのか、はたまた見つめる先を同じくする同文脈中のふたつの物語の偶然(であり必然)の一致なのかについて、現段階で分からないとしても、1年ぶりの彼らの完全体カムバック「seOul cOllectiOn」においてなお、映画やの痕跡(コード)がところどころに散らばっているのを確認した今、意味のあるものとして捉えたい。できる限りネタバレは避けたいので、映画についてのあらすじは省略しますが、これから事前知識なしの真っ白な状態で映画を観たいという方はブラウザバックしてください。別にネタバレ踏んでも構わないの人はこのまま、ネタバレとなりうる部分はできる限りグレーで表記するので察して避けながら読み進んでもらうようにお願いします。

 なお、追記以前の本文を読んでもらった方にはあえて注記せずとも分かると思いますが、以下についてもわたしの感想がメインですので、もちろん映画との比較/考察/検討の記事ではありません。飽くまで一個人が感じたことを共有したものとして、参考程度に留めてください。

 

 

 - 以下全ての映画スクショは挿入歌MVより