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ツイッタに載せきれないあれこれ

【感想文】Equal観た

 

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Equal観た。

以下感想文、記事で扱うほどの内容がなかったため自分だけのために書き起こそうかと思ったのですが、一週間経っても余韻から帰ってこれずずるずると引きずってしまっているので、自分の中での感想考察を整理するためにも、直後に書いた感想に書き足す形で簡単に残しておきたい。

 

 

感想文なので期待して読まないでください。

 

 

 

 

 

以下、本当に感想文

 

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目次

感想文2は完全にネタバレなので、踏みたくない方は注意

 

 

はじめに

 

大前提:感想を書く人(わたし)について

ミュージカル「Equal」を観ました。

 

検索から引っかかった人(が果たしているのか)のために自己紹介しておくと、わたしはニコラ役として出演されたホンジュチャンさん、の所属するGoldenChildというチームのファンです。今回の観劇も彼が出演するということがまず一番のきっかけでした。キャストから演劇沼入るのオタクあるあるだよね

とはいえそもそもジュチャンがミュージカルに出演するのは今回が初めてではなく、一昨年の「狂炎ソナタ」、昨年は「ALTAR BOYZ」「ON AIR」等にも出演していました。もともと演劇のオタクというわけでも、ジュチャンのオタクというわけでもなく、経済面の余裕もないので彼の出演するミュージカルは毎度観劇には至りませんでした。というわけで、今後も見送るつもりでいたのですが、今回、Equalに出演するということで、急遽観ることにしました。末満作品だったからです。

 

ミュージカル「Equal」、今回は韓国で初のミュージカル化、とのことだったのですが、原作を書かれたのは日本の方です。大阪出身の脚本家末満健一さんという方、界隈では有名な方で、演劇に疎いわたしですら名前は勿論存じ上げているし、作品もいくつか観たことがあります。ということで、「末満作品に出演するジュ、観たい」となり、観劇を決めたわけですね。とはいえ「Equal」については全く知らず(末満さん原作であることを知って本当に驚いた)、内容も知らなければ観るのも今回が全くの初めてでした。

 

観たのは2月11日昼公演、NU’ESTのベクホさんがテオ役を演じられた回。ニコラ役は勿論ジュチャン。突発的に思いついて、思い立ったが吉日とキャストのことも大して考えずにチケットを買いました(根っからのISFPの方)。わたしは演劇に限らず大抵のものに関して事前知識を一切仕入れずに思い立ったら即行動タイプなので(事前準備が面倒で苦手なだけのISFP)今回も辛うじてHP中のパンフレットに書いてある時代背景説明と人物紹介だけを見て挑みました。

(後から考えるとその用語説明も読まなかった方が良かったかもしれないと後悔した。飽くまで末満作品に関しては、舞台内だけで背景設定が十分理解できるようにしてあるし、脚本自体その場で得られる感動や驚きをかなり重視して書かれている気がするので。)

 

 

簡単なあらすじ

「Equal」というのは、17世紀ヨーロッパを舞台に、幼馴染であるテオ二コラ、ふたりの運命を描いた二人劇です。最初から最後までキャストはテオ役ニコラ役のふたりしか登場せず、舞台セットはニコラの部屋のみ。全ての出来事はニコラの部屋の中で展開し、劇中ではそんな二人のある一週間、きっちり一週間の出来事が描かれます。一週間、同じような毎日の反復の中で、変化していくふたりの様子を描いた作品なんですね。もう面白い。さて、テーマは三つ。17世紀ヨーロッパ、蔓延する感染病ペストに脅かされ、人々はなすすべもなく黒魔術に救いを求める。まるで神に見放されてしまったようなこの世界でどう生きるか。そして、病を患い死ぬ日だけを待ち続けるニコラと、そんな彼を看病する医者としてのテオの死生観。最後に、「自分」という存在は誰なのか、「自分」は何を以って「自分」であるのかという永遠に続く自己定義。

 

 

 

 

感想文1:キャストについて

配役とキャストについて

まず初見感想。ああ…末満さんっぽいな…という後半の畳みかけるようなどんでん返しと考察の余地が広がる含みのある言い回し。劇中で最初の方に感じていたいくつもの疑問点が後半の怒涛の展開で次々と回収されていく感じ。観れば観るほど解釈が深まるので、おそらく、何度か見たらその数だけ受ける印象が違うのだろうな、と感じました。

配役に対してキャストの数が多く、日によって組み合わせも違うので、そういった面でも何度も通って観る楽しみになるのだと思います。

末満さんの作品の代表作に「TRUMP」というのがあるのですが、この作品は「Truth」版「Reverse」版の二通り上演されました。登場人物がすべて二人一組の対になっており、「Truth」と「Reverse」ではキャストが入れ替わる。例えば、主要人物として、主人公とヒロインがいれば(「TRUMP」でヒロインは出てきませんが)、「Truth」で主人公を演じたキャストが「Reverse」ではヒロインを演じる、みたいなことです(伝わってほしい)。脚本はあるものの登場人物の容姿や声、細かな性格が設定されていないので、そのあたりをキャストの解釈に委ねてあるんですね。そういう、面白いことをやるのが末満さんだと思っているのですが(わたしはそんなに詳しくないので間違っていたらごめんなさい)、今回の「Equal」でも色々なテオニコラがありそうだな~と、体格も顔つきも全然違うキャスト一覧を見て思いました。勿論脚本で大筋は決まっているけれど、具体的なテオ像ニコラ像があるわけではなく、脚本で決まっている言動以外の部分は、それぞれのキャストの色で様々に塗ってくれて良いと。

 

(そもそも日本版のEqualは曜日ごとにニコラとテオが入れ替わっていたらしい。考えただけでも脳がバグりそう)

 

考察し放題の複雑な内容に、日ごとに変わっていくキャスト、観る度に印象はかなり違うだろうし、やはり演劇というのは何度も見てこそ面白い。テレビや映画等映像作品が主流の時代に、演劇のそういう面白さを感じさせてくれるのが末満作品だなと個人的に(拙い知識範囲内ですが)思います。

 

 

ベクホテオ×ジュチャンニコラ(2月11日昼公演)について

さて、偉そうに語りましたがわたしは2月11日昼公演しか観なかったので(別日の公演はネットに出回っているチッケム等で軽く見たりはした)、とりあえずベクホテオ×ジュチャンニコラについて思ったことを残しておきたいと思います。

 

まず、ベクホテオ

2月11日のベクホについて「柴犬」に見えると仰っている方をツイッターで見かけたのですが、本当にそう。満面の笑みでニコラの周りを駆け回っている様子、あれはもう犬ころ以外の何者でもない。犬ころである。ベクホさんに関して、わたしはプデュ2の時にニュイ動画を漁り見つけた、ベクホさんがひとりでお好み焼きを作る動画で認識が止まっているのですが、動画内でネギを皿に移しながら「ヘヘヘ…」と笑っている様子が意味わからんくらい可愛かったんですよ。その時の顔が思い出された。何の話?

 

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https://youtu.be/XlNIqcE9O44

可愛いので見てほしい

 

テオの性格に関して劇中では「(ニコラの)馬鹿みたいな友達」だと歌われる部分があります。ベクホさんはがっしりした体格に犬ころみたいな可愛さ、純真無垢で何も考えてないみたいな顔で笑う、「馬鹿みたい」というのが非常に似合うなと思いました。悪口じゃないです

馬鹿みたいだけど、がむしゃらで純粋でニコラの病を治すために奔放する気の毒な友達。いかにも主人公っぽい。実際のベクホさんという方は(よく知らないので刺さないでほしい)、歌も上手ければ作曲もできる器用な方で「馬鹿みたい」とは程遠いですが、容姿(とあとあの屈託のない満面の笑み)が所謂「馬鹿みたい」であるキャラクターにぴったりだと思いました。

 

 

それに対してジュチャンニコラ

GoldenChildのホンジュチャンくんに関して知っている方は分かると思いますが、彼の本来の性格と、今回演じることになったニコラという役は一見正反対に見えます。天真爛漫で、(もともと器用な方ですが)努力を惜しまず健気に、懸命に生きておられて本当にえらい。どちらかというとテオに近いよね。

 

【アイドルをキャラクターとして解釈する行為が苦手な人は飛ばしてくれて構わないです】
ただ、器用な優等生ほど裏にとんでもない執着心と狂気を秘めているという典型的な二次元キャラクター像が染みついているわたしにとっては、ジュチャンさんをかなり神経質な性格として勝手に(二次創作内で)キャラ解釈していたので、今回のニコラ役、非常にありがたかったし面白く見させてもらいました。ベクホテオに何か言われる度に顰める顔が良かったし薬を調合するシーン、日に日にサイコパスみが増していて最高だった。

 

ジュチャンさんのこの天真爛漫さをわたしは勝手に「主人公力」と呼んでいるのですが(少年漫画の主人公っぽい)、今回も遺憾なくその主人公らしさを発揮しておられ、観ながらわたしはニコラが主人公だったっけ???とすら思いました。テオよりもニコラの方に感情移入してしまう。

テオと二コラどちらが主人公なのか公式では発表されておりませんが(多分二人とも主人公という設定?)、いくつかの記事で「テオが主人公」と書かれているものがありました。実際にストーリーは終始テオの視点で展開し、視聴者はテオの視点に合わせて真相を理解していくので、劇中で主人公的役割を果たしているのはどちらかというとテオだと言えると思います。

(テオが物語の語り手かつ主人公なのに対してニコラが物語の主役、中心人物的な役割。「ドラえもん」でいうのび太ドラえもんの関係性)

にもかかわらず、ホンジュチャンさん自身が元々持つ主人公力が強すぎて、ニコラの方が主人公に見えた。このあたりが非常に面白くて、この舞台を最後まで見た方は分かると思いますが、このジュチャンさんの主人公力が後半の展開で図らずも妙にしっくりとはまってくる感じがあって、そこが良かったです。

 

 

ジュチャンさんのニコラに関して、2月11日以外の公演でどのように演じていたのか、様々な方が書かれた感想を読ませてもらったのですが(実際には観てないから詳しくはわからない すみません)、公演ごとにかなり違った演じ方をしていたようでした。

 

ニコラの設定として「繊細」というのがあります。

 

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劇中では語られませんがHPのパンフレット中にも「神経質で繊細な性格の持ち主」とあります。ジュチャン演じるニコラも最初はその「繊細」な印象があったそうです(何度も言いますがチッケム等で断片的に見ましたが本編は見ていないので、他の方のいくつかの感想から推測して書いています)。それが、偶然にもわたしが観た2月11日昼公演あたりから「怒り」の部分が前面に出て繊細さがあまり感じられなくなった。わたしも2月11日昼公演を見ながら、パンフレットを見て事前に仕入れていた「繊細」な性格と全然違うのでかなり混乱しました(このあたりが事前知識入れない方が良かったなと思った理由でもある)

ジュチャンさんご本人も、2月13日に「今日は自分の解釈でかなり違う風に演じてみた」という旨のコメントをされており、そのあたりから色々と試行錯誤されていたようです。最終的にどういう形になったのかをまだ観てないので分からないのですが、レポを読む限りは日に日に「怒り」の部分が増しどんどんサイコパス的になっていっていると。本人の解釈がどういうものなのか、聞いてみないことには分かりませんが、個人的には、ジュチャンさんは、ニコラがもともとは繊細な性格だったのが、同じことを反復してゆくうちに、自分の思う通りに事が進まないことへの苛立ちが積み重なり、自己中心的な性格が表立って出るような、そんな神経質な性格に変わっていった、その様子を演じようとしたのかな、と思います。

 

先程ジュチャンさんの「主人公力」がすごいという話をしましたが、なんというか、全体的にあまり弱々しい感じがしない。病弱で繊細で、というニコラの役を演じるには、本人のもつ「主人公力」が強すぎる。本人とはかけ離れたニコラという役を、ジュチャンさんは「怒り」を前面に出すという形にうまく昇華させることで、違和感なく演じきったというのが、うまいなというか、ジュチャンさんすごい…になりました。全部妄想ですみません。ジュチャンでなければあのニコラにならなかっただろうし、「繊細」ではなく「怒り」に近いというあの形が、ジュチャンが演じるニコラとしての正解だったのかなとも思います。

 

 

あとテオベクホとジュチャンニコラのバランスがすごい良かった話させてほしい。また主人公力の話するけどベクホさんの持つ主人公っぽさとジュチャンさんの持つ主人公力がうまいこと拮抗して対等な感じになっていたの良かったな~ 概念の話しすぎ あと他の公演観てないやつが偉そうなことを言うようですが声の相性すごくなかったです?????ジュチャンさんの針の穴に糸を通す時のような綺麗な高音。

(これはTMIですが学生時代にフルートを吹いていたときに、高音は面ではなく点を意識しろと言われたのを覚えています。綺麗な音が出る領域というのがあり、そこにピンポイントで息を入れないと良い音が出ないと。ジュチャンさんの高音というのは、そういう細やかで繊細な高音だと思いました。)

に対して面で力強く支えるベクホさんの低音、の相性良すぎて音源がほしい。売ってください。具体的にナンバーを言うと火曜日の「僕たちだけの魔法」、木曜日の「神は何故」、土曜日の「嘘の嘘の嘘」の重唱部分。売ってください。

 

 

キャスト ホンジュチャンさんについて

わたしがGoldenChildのファンなのでさっきからジュチャンのことばっかり言ってますがもう少し言わせてほしい。今回、ジュチャンさんのミュージカルを初めて見たわけですが、まずは圧倒的な歌唱力。語りかけるように発声しながらも、安定して良い聞き心地、すっかりミュージカル俳優になられたのだなと感じた一方、普段のジュチャンさんの喋り方もどこかミュージカルめいているので、全然違和感がなくて笑った。とにかくうまい。どれだけ動いても全然乱れない発声と音程。この人は本当に歌が上手いなあと思う。あとジュチャンさんの低音を聞く機会があまりなかったのですごく新鮮でした。ゴルチャ内だとどうしてもサビの高音パートを歌わされることが多いのだけど、低音で響かせるジュチャンさんの声ももっと聴きたい。ウリム頼みます

 

そして、顔が、すごく綺麗だった(という感想は何なのよ)。ジュチャンさんの顔はもともと綺麗ですが、綺麗、というだけで泣きそうになったのは初めてかもしれない。綺麗だった。役柄が神経質な役柄でしたが、彼の華奢な体つきと(と言ってもかなり鍛え抜かれている)繊細な顔の造りが役柄ととても合っていて、めちゃくちゃ良かったです。神経質なジュチャンさん、旨い… (腐女子、すぐ旨いとか言う)。特に美しかったのが、赤い照明に照らされて丸くて大きい目の影が顔に落とされるところ、美しくて思わず息を飲んだ。そして、全体的に血色がなく目の下にクマがあり色白く憂いを帯びた表情、が綺麗すぎる。こういう表情の彼を普段見ないので、綺麗すぎて終始ドキドキしていた。目が据わっていてその中に狂気が透けていたのも良かった。

 

そういえば、数日前行われたゴルチャの単コン(PLAYコン)でも目線の送り方がミュージカルのそれになっていたな~などと思い出す。ジュチャンさんの目、本当に綺麗だなと思う。ミュージカルでよくあるじゃないですか。観客の方を見るわけでも、カメラを見るわけでもなく、遠くの上方に目線を送りながら台詞を喋るやつ。ジュチャンさんが儚げに遠くを見つめている、その大きな目に光が反射してきらきらとしているのが、本当に綺麗で、PLAYコンでも印象的だった。

 

 

ちなみにPLAYコンからの今回の公演の流れで完全にジュチャンさんに恋してしまった感じなので、数か月後にジュチャドゥニスになっていても驚かないでください。

 

 

 

 

感想文2:内容に関しての解釈と疑問点(ここから完全にネタバレ)

 

 

 

 

結末について

最後、末満さん脚本の日本版とは全然違うみたいなので、考察もまた新たにする必要があるのですが、考察に弱いわたしは全くわからず。

真実を知るために命を懸けて薬を飲もうとしたところをニコラが止め、「生きている間は(自分たちの存在について)悩んでみよう」の後の流れなので、最初はハッピーエンドだろうと思っていたのですが。それだとしっくりこない部分があって、色々と考えた結果、心中ラスト、なのかなあ、やはり… 今日を誕生日、にしようという提案が、変なんですよね。単純にお互いが1代目の記憶を微かに思い出したこの日を記念日的な意味で誕生日、としたのか。それとも、今日を誕生日にして、もう一度生まれ直そう、ということか。赤い海に行くという話、空に向かって歩いた先が星になり、走馬灯のように思い返されるエピローグ。「生」が生まれる場所、赤い水の上でぷかぷかと浮かびながら、これまであったことを思い浮かべていくうちに、彼らは星になったのか。ようやく、死と向き合うことができたのか。

 

 

「赤」について

劇中で「赤」は頻繁に登場します。テオが賢者の石にしようとした魔法の赤い石、異端者の処刑を知らせる鐘の音と共に登場する赤い照明、赤い薬、赤い海(胎内=試験管内どちらも生の始まりの場所であるから、この場合区別はしていないのだろう)。赤には何か象徴的な意味があるのだと思います。劇中で失敗作のテオを処分する時に、黒い薬が使われました。黒が「死」を表すのだとしたら、赤は「生」を表す色なのかな、と思ったり。死んだ者を生き返らせる、または新しい生として生まれ変わることを象徴する色。

わからなかったのは、緑の意味。登場人物のオデットとマリエッタは共に「淡い色の赤毛」「緑色の瞳」。ここだけならまだしも、ニコラが赤い海に行った時のことを回想するシーンで、「日差しを浴びると瞼の内側に緑や赤の点がギラギラと輝く」と言う場面があります。ここでいう赤と緑にも何か象徴的な意味が… あったりしますか?わかる方いたら教えてほしいし万が一単に光の三原色的な問題で普通陽の光を浴びながら目を閉じたら緑と赤が見えるもんなんだとしたらめちゃくちゃ恥ずかしいので放っておいてください。

 

 

劇中の「テオ」と「ニコラ」

ここから劇中のテオニコラを「」付きで、元々のテオニコラはそのまま記します

このあたりは最初に観た時分からなかったのを段々と理解が追い付いてきたので書き記しておきたい。ベクホさん演じた劇中の「テオ」というのは、テオの血が混ざった死んだニコラ、テオの記憶を分けた死んだニコラ、すなわち体はニコラだけど性格はテオ(テオであるように洗脳したから)。だから錬金術に興味を持ったし、オデットに似たマリエッタを好きになった。「テオ」が「ニコラは常に新しい可能性について開かれた人間」という部分があり、その「テオ」によるニコラ像が全然ジュチャンさん演じる「ニコラ」と異なるので疑問だったのですが、今の「ニコラ」は元々のニコラではなくテオなんだから当然だよな~と納得した。

 

 

テオはなぜ「ニコラ」にならねばならなかったのか

テオはニコラが死んだことでニコラを失ってしまったのだから、ニコラをニコラとして生き返らせれば良かったのでは?と拙い思考力のわたしは最初思ったのですが、一週間悶々と考えていくうちに、テオと言う存在は、永遠に「ニコラの病気を治療する人」でなくてはならないから、ということなのかな、という考えに至りました。魂のないニコラの肉片に自らの記憶を注ぎ、自分はニコラとして振る舞うことでテオとしての自我を確立させる。ふたりしかいない世界、お互いによって自我が成り立つ世界であるから、歪んだ方法ではあれどこういう形を取るしかなかったのかな、と思いました。

このあたりホムンクルスの知識があればもっと分かりやすいのかもしれない。

 

 

「犯人」は誰か

原作ではマリエッタはどちらかのテオによって直接殺されたという設定だそうです。今回のミュージカル版「Equal」ではマリエッタを黒魔術に手を出した人に仕立て上げた「犯人」が存在します。その犯人が誰なのか、劇中では出てこないため分からないのですが、「ニコラ」が犯人ではないのか?という仮説が立てられます。「ニコラ」が掴まえて(おそらく薬のための材料として使った)カラスを「ニコラ」は捨てたというし(どこに?)、マリエッタが殺されたことについては「ニコラ」によってしか語られないから。マリエッタと恋に落ちた「テオ」が許せなかったから、「ニコラ」はマリエッタを殺したのだろうか?ただ、日曜日に「テオ」から「犯人は捕まったんだって」とわざわざ語られるので、今回の「Equal」では変に邪推せずに「ニコラ」は「犯人」ではなかった、と捉えるのが正解なのかな…と思います。解釈は自由ですが!

 

 

 

 

 

追記:2/22 ジュチャンによるQ&Aを見て(ネタバレ含む)

ミュージカル「Equal」を終え、ジュチャンさんがQ&Aコーナーを開いてくださったので、そこでお話されていたことをメモ程度に残しておきます。物語の真相について彼なりの解釈で話してくれていますが(上の感想文2に書いた疑問についても答えてくれている)解釈はその人の自由で結末は開かれたものであるとご本人も仰っていたので飽くまで参考程度に。

www.vlive.tv

1時間強の長尺で話してくれているので箇条書きで簡単にまとめていきます

(ここでも役としてのテオニコラと、1代目テオニコラとの差は「」の有無で区別しますね)(直訳ではなく完全な意訳です)

 

 

「ニコラ」という役について

・「ニコラ」にとって「テオ」は、友達でありながら実験のための実験体であり、自分は実験体を見守る観察者である。それを念頭に置いて演じた。(11:19~)

・その「テオ」がある日錬金術を知ることになる。錬金術に関心を持ってしまった「テオ」を仕方なく諫めつつ、脳内で複雑に悩み始める「ニコラ」。マリエッタに恋し自我を持ち始める様子を見て「ニコラ」は「大変なことになった」という思いと、「裏切られたような気持ち」になったのだろうと思う。(18:45~)

そもそもテオがニコラを生き返らせた動機(「ニコラ」が「テオ」を生かした動機)は?自分の隣にはニコラしかいないから、最初は本当に唯一の友達ニコラのためを思って生き返らせたのだと思う。それが、段々と実験自体に対して執着するようになっていったのだと思うし、そのように演じた。(41:06~)

ニコラの鋭敏な性格はもともとの彼の性格なのかそれともテオの性格なのか?状況が厳しくなれば誰だって鋭敏になりうるし、そういう意味の鋭敏さだと受け取って演じた。友を殺さなければならないし、それを隠して生きているのだから鋭敏になって当然だ。(50:07~)

 

 

「ニコラ」を演じるにあたって

・時間がなかったため台本を最初は理解できなかった。演じながら理解をした。(10:57~)

・「テオ」を殺すか生かすかについての苦悩を表すために、赤い薬(=生かす薬)を見る目はゆっくりと、反対に黒い薬(=殺す薬)を見る時は素早い目つきで疑っている様子を表すことで演じ分けた。(25:44~)


・最初は(ジュチャンさん自身の)「テオ」に対する怒りが大きかった。自分の血を分けているのに自分の思う通りにならず変わっていく「テオ」に対する怒りが。だから台詞である「今度も失敗か」も冷たく言っていたと思う(本当に役に入り込んでいたんだな)。しかし回を重ねていくうちに段々と虚しくなり、様々に考えていくうちに悲しくさえなった。(43:34~)


・ナンバー「カラス」で机から降りるシーンは惜しかった部分だ。もっと危険で目が狂ったところを見せたくて、本当はもっとギリギリまで追い詰めて机から降りるようにしたかった。(55:45~)


・カラスは可哀想だった。最初はカラスを自分みたいだと感じて拾ってきたし、袋に囚われたカラスの首にまとわりつく紐を解いてあげた(ここはアドリブなのかな、日によって違ったと思います)。それが、「テオ」と言い争ううちに段々とカラスはどうでも良くなって、ただ自分(=を投影したカラス)は惨めだ、危険な状態だということを見せたくて最後の公演になるにつれて紐を雑に持つようにした。(56:37~)

 

 

・ちなみにキャストは図鑑サイズの台本をもらうそうです。設定やら時代背景もしっかり載っている。ナンバーの部分は音源じゃなくて楽譜でもらうんだな…

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その他様々な謎の解釈について

・ふたりの複製人間を誰が作ったのかはわからない。結末は開かれている。(15:03~)


ベッドに付いた赤い血は「テオ」には隠してた「ニコラ」の病気によるものだと思う。反抗心から関心を引こうと外に出たしベッドも汚した。(28:00~)


なぜカラスを助けたのか?「テオ」を処分しようとしているのになぜカラスが必要なのか、それとも本当に可哀想で助けたかったのか。最後に捨ててしまったところを見ると、「ニコラ」も悩んでいたようだ。ただカラスを見て様々な感情が沸き起こり、連れて帰ってきてしまったのだろう。(32:13~)

手紙を貰ったオデットはなぜ疑問に思わなかったのか?オデットは77歳のおばあさんだから、アルツハイマーにかかって(そうなんだ…)昔の良かった記憶だけを思い浮かべているのだろう。(42:27~)


マリエッタを殺したのは誰か? 本当にマリエッタが黒魔術に手を出して処刑されたのだと思う。ニコラは関係ないことだ。(44:51~)マリエッタがなぜ黒魔術に手を出したかはわからない。でも本当にニコラはその件には関係していないと思いながら演じた。なぜならマリエッタが死んだと告げる時、「ニコラ」が泣いていたのは、これを告げると「テオ」は錯乱すると分かっていたし、そんな彼を処分してくはないと思っていたからだと思うので。(48:49~)


エンディングシーンの意味?エピローグは幸せだった時の回想である。記念日だから、「この世には僕と君のふたりしかいない」閉ざされた空間を出て、僕は僕で君は君だということを確認しようとしたのではないか。(59:00~)

 

 

ブイライブを見てわたしが思ったこと

ジュチャンさんの解釈、ジュチャンさんらしく明るくて幸せな解釈で素敵だなと思いました。何よりビハインドも含めて演じ方までかなり詳細に話してくれて嬉しかった。わたしの中のすべての疑問が解決されたわけではありませんでしたが(ミュージカル版は脚本も結末も大きく違うわけだし、解釈は自由なので)このブイライブをきっかけにわたしももう少し悩んで考えて、自分なりの自分解釈Equal、を作ることができたら良いなと思いました。

あと印象的だったのが、オタクの「もしも「テオ」をやっていたとしたら?」という質問に対して「「テオ」も面白そうではあるが、演じていて楽しかったのは「ニコラ」だった」と仰っていたこと。そして、オタクの質問に対して答えるために、ナンバーを歌ったり台詞を言ったりしながら少しずつ「ニコラ」だった時の感覚を思い出そうとしているように見えたこと。最終公演の前ポケドルで「ニコラ」としてメッセージをくれたり、公演を終えて「GoldenChildのホンジュチャンとしてカムバックした」と仰っていたことからも感じましたが、ブイライブ全体を通して、ジュチャンさんが「ニコラ」という配役について、まるで自分のことのように考え悩み感情移入していたことを知ることが出来て嬉しかったです。オタクが考察して楽しんでいたように、ジュチャンさんも演じている間、「ニコラ」として考え「ニコラ」として生きてくれていたのだなと。ジュチャンさんもオタクたちも、2/20を以って「ニコラ」とはお別れでしたが、こうやって余韻に浸っている感情を一緒に共有してくれたことが、本当に嬉しかったです。ありがとう… 少しでも救われた思いのした過没入オタク……

 

 

 

 

 

おわりに:家でEqualやってる人へ

というわけで、かなり長くなりましたが、わたしが2月11日に「Equal」を見て、その後一週間ほど悶々として考えたことを書き記しました。この文章を読んだ誰かの疑問を解決したり、解釈を広げたりということができたとは思いませんが、同じく舞台を観て未だ抜け出せられない誰かと、一緒にこの余韻に浸り感情を共有することができたら、それだけで良いな、と思います。

 

最後に、完全にハマってしまい家でひとりEqualやってるわたしが書き起こした歌詞を一部(特にやりたかった「까마귀」と「신은 왜」)共有しておきます。今後ネット上に上がるかもしれませんが、今のところ見当たらなかったので。わたしみたいに家でひとりEqualやりたい人は参考にしてください。

 

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間違ってたらごめん